兎祇物語

創作小説を掲載します。

拾里

兎祇物語

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紅兎

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惜別編

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(5)拾里
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岩屋谷奥深く入ると、冥府ヶ岳を背にして、一件の屋敷が建っていた。
岩戸屋敷…
岩屋谷に暮らす者達の中でも、完全療養を必要とする者達が暮らす所である。
庭先には、様々な花の木が植えられているが、今は皆枯れている。
新たな葉や蕾をつけるには、年越しの雪解けを待たねばならないだろう。
見れば、一人の老婆が愛しそうに木々の手入れをしていた。
「おやおや。カズ君、お帰りかい。」
「どうも。トヨさん、今日も精が出ますね。」
「いやー、ワシはこの子達だけが生きがいじゃからねー。早く、次の花、咲かないかねー。」
果たして、彼女がこれらの木々に花が咲くのを見る事ができるかどうかはわからない。
もう、内臓を侵す悪性腫瘍は末期状態なのだ。
それでも、彼女は次の花を楽しみにしている。
「トヨさん、お久しぶり。」
名無しが声をかけると…
「これはこれは、親社(おやしろ)様!お懐かしゅう!」
老婆は畏まって、平伏した。
「ほらほら、トヨさん、頭を上げて、ほら。」
名無しが、老婆の肩に手をやり、立たせようとすると…
「滅相もありません…ワシら、親社(おやしろ)様には、どれ程良くして頂いたか…」
老婆は、一層、深々と平伏した。
「何を仰られる、貴方達こそ、百合ちゃんにどれだけ良くして下さったか。さあ、さあ、頭を上げて、頭を…」
名無しが、なかなか頭をあげようとしてくれない老婆に困り果てていると…
「おばあちゃん、これ。」
菜穂が、隣でしゃがみこみ、可愛いおばあちゃんの手作り人形を差し出した。
「おやまあ、何て可愛いんだろう!」
老婆は、人形に向かってとも、菜穂に向かってとも知れず、感嘆の声を上げた。
「菜穂です。カズ兄ちゃんがお世話になりました。」
菜穂がぺこりと頭を下げると…
「いやいや、ワシの方こそ、カズ坊には…ふーん、あんたが、ナッちゃんかい。そーかい、そーかい。」
老婆は、貰った人形を嬉しそうに抱いたり撫でたりしながら、漸く立ち上がって何度も頷いた。
その時…
「お兄ちゃん。」
智子を預けて以来、一年ぶりになるだろうか…
懐かしい声が、名無しを呼んだ。
「百合ちゃん、久しぶり。また、大きくなった?」
「もう!ならないわよ。私を幾つだと思っているの!」
声の主は、そう言うと、鼻に皺を寄せて笑った。
何とも懐っこい笑顔…
あと数年で四十になると言うのに…
幾つになっても、変わらぬと名無しは思った。
幼き日、妹のように思っていた人。
そして、自らの手で無残に汚し、傷つけた人…
名無しが、人生で最初に出会った赤兎だ。
「カズ君、帰って来てくれたのね、良かった。」
百合は、女としては背は低くない。
それでも、一首は自分より身長のある和幸の頬を撫でて言った。
「本当に心配したわ。トモちゃんの後を追ってしまうんじゃないかと思ってね。」
和幸は、答える代わりに、眼差しを憂いに潤ませた。
「ナッちゃん、お久しぶり。」
「お久しぶりです。」
「カズ君、連れ戻してくれて、ありがとう。」
「そんな…私、何も…」
「ううん、貴方のお陰よ。貴方が来てくれたから…これも、愛の力ってやつかしら。」
百合が言うと、菜穂は少し照れたように頬を染めて首を傾げた。
「さあ、中に入って、みんな待ってるわ。」
智子が逝って以来、火が消えたように明るさの消えたと言う岩戸屋敷の食卓は、久しぶりの賑わいを見せていた。
十日近く行方を晦まし、智子の後を追ってしまったのではないかと思われていた和幸の帰還もさる事ながら…
思いもかけず、和幸が伴った客人達にも湧き上がっていたのだ。
「よくぞ、お越し下された…」
「ワシら…もう、生きて親社(おややしろ)様に合間見える事は出来ぬものと思うておりましたぞ…」
「この上は、いついつまでも…」
最初のうちこそ、屋敷の住人達は、爺祖大神(やそのおおかみ)その人が来たとでも言うように、恭しく名無しの周りを囲んでいた。
しかし、宴もたけなわになると、その関心は菜穂に移って行った。
「いやー、べっぴんさんだねー。」
「カズ坊と並ぶと、お内裏様とお雛様だー。」
「トモちゃんもめんこかったけど、ナッちゃんは、本当、べっぴんさんだー。」
菜穂は、周囲を取り囲んで口々に言う、おじちゃんやおばちゃん達の感嘆の声に、照れ笑いしながら、寝たきりの人達に食事を食べさせていた。
別に、誰に教わるわけでも言われるわけでもなく、菜穂はごく自然に、自分で食べられない住人の世話をしていたのである。
「ナッちゃんは、幾つなんだい?」
住人の一人が、菜穂に聞く。
「十五歳です。」
菜穂が答えると…
「へえ…トモちゃんより、五歳も年下なんだー…へえ…」
「何か、見た感じは、ナッちゃんの方が年上に見えるねー…」
「まあ、トモちゃんは背が小さかったし…
顔も少し丸っこくて、体付きなんか…胸はぺったんこで、十歳と言われてもおかしくなかったからねー…」
「でも、トモちゃんの鼻のホクロはちょっと色っぽかったぞ。」
住人達が、口々に言うのを菜穂はニコニコ笑って聞いていた。
「さあさあ、シゲ婆特性の芋汁だよー。煮込み大根もあるよー、たんと召し上がれー。」
皮膚が溶け崩れ落ちる重病を患った老爺・老婆達が、鍋いっぱいの汁物や煮物を持って来ると、声を張り上げた。
「こりゃー、豪勢だこと。」
まだ、四十そこそこだが、悪性腫瘍におかされ、余命数カ月の女が、感嘆の声を上げる。
「これで、魚の一品もあればなー。」
足を引き摺る若者が言うと…
「そうくると思ってな、見てくれ!」
顔半分崩れ落ち、左腕が丸々溶け落ちた五十絡みの男が、魚籠いっぱいの戦利品を自慢げに見せつけた。
「おー!」と、一斉に感嘆の声が上がる中…
「さばくのは、あたいに任せとくれ!」
子を産めず、しかし、難病に侵された為に異国(ことつくに)に売られる事もなかった、元白兎の女が、調理場から顔を出して魚籠を受け取った。
「お母さん、美味ちい、食べる…」
屋敷に入るなり、菜穂にピッタリひっつき離れようとしない少女が、鼻をクンクン鳴らして言った。
胸を患い、あと三月と言われている、まだ十歳の少女、希美である。
「そうね、お腹すいたね、早く食べたいね。」
菜穂が言うと、希美はニコニコ笑って、大きく頷いた。
そして…
「タク爺特製茄子の糠漬けと、僕が漬けた蕪を持ってきましたよ。」
和幸が大きな盆を抱えてやって来ると、皆一斉に歓声をあげる。
「カズ坊、そんなのワシらに任せて、こっちこっち…」
殆ど原型をとどめぬ程、顔が崩れ落ちてる老婆が盆を受け取り促すと、そこらにいた連中は和幸を引きずるように、菜穂の隣に座らせた。
「おやまあ…これはなんと…」
「まるで…暮れと正月まで飛び越して、一足早い節句じゃないか…」
雛飾りのように並んで座る和幸と菜穂を染み染みと見て、皆、一斉に嘆息した。
ここでは、諸々の病に侵された者も、障害を負う者も、関係ない。
皮膚が溶け崩れてしまってる者でも、それを隠す者もなければ、それを見て気味悪く思う者もいない。
皆、等しく仲間であり、家族なのだ。
久し振りにやってきた名無し達を歓待し、雛人形のような菜穂に大はしゃぎしながら、食卓は更に更に盛り上がりを見せたのだ。
いつの間にか、雪は止んでいた。
薬草園のある庭先で、和幸と菜穂が線香花火に火をつけている。
うっすら積もる雪の中の花火も良いものだと、私は思った。
皆が次々に寝に入る中、胸の病で余命短い希美が一人、頑張って花火を眺めてる。
「はい、希美ちゃん。」
希美は、菜穂に線香花火を手渡されると、今にも頬が落ちてしまいそうな程笑った。
どうしても、和幸と菜穂と川の字で寝たいのだと言う。
「冥府ヶ岳の向こう側に、また一つ拾里を作ったんですって?」
縁に並んで、和幸と菜穂と希美を眺めながら、百合は私に言った。
私は、軽く頷いた。
「お兄ちゃんは、生き神様…皆、そう言ってるわよ。私もそう思うわ。
覚えてる?初めて私が此処にきた当初…此処は、生き地獄そのものだった。食べるものもなく、動けぬ者を世話する者もなく、病気を看る者もない…
皆、病死か餓死か…苦しみを免れる為に自殺するしかなかった。」
百合の言葉を聞きながら、私はこの地に辿りついた時を思い出した。
赤兎は、十二歳までに仔兎祇(こうさぎ)を一人産まねばならぬと定められている。
しかし、赤兎が赤子を宿す事は滅多にない。
月のモノが始まるより先に御祭神を破かれ、子を産めない身体(からだ)になる者が殆どだからだ。
十二歳を待たず、命を失う者も少なくない。
幽里国神領(かくりのくにかむのかなめ)四千年の歴史の中で、度々、赤兎が子を成した事が、社(やしろ)の伝承を伝える古文書には記されている。
しかし、その殆どは、実際に赤兎が産んだ仔兎神(こうさぎ)ではない。
神領諸社(かむのかなめのもろつやしろ)は、十二までに仔兎祇(こうさぎ)を産ませた赤兎を、聖領(ひじりのかなめ)に献上しなればならない習わしになっている。
できなければ、面目が立たないばかりが、社(やしろ)の宮司(みやつかさ)は責任を問われて、罷免される。
その為、多くの場合、他の白兎が産んだか、兎神家(うさみのいえ)で生まれた子を、赤兎が産んだと称してる。
そうした中、百合は珍しく十二を前にして仔兎祇(こうさぎ)を産み、青兎となった。
しかし、それは新たな地獄の始まりを意味していた。
聖領(ひじりのかなめ)でも筆頭格の神妣島(かぶろみしま)、それも、聖宮社(きよつみやしろ)に献上された百合は、総宮社(ふさつみやしろ)にいた頃にもまして、絶え間ない穂供(そなえ)を強いられ、立て続けに何人も仔兔祇(こうさぎ)を産んだ。
そして、最後に孕んだ仔兎祇(こうさぎ)が死産した時、仔兎祇(こうさぎ)を産めなくなった。
本来なら、異国(ことつくに)に売られるはずであった。
しかし…
売られる直前、百合は感染性のある病に侵されている事が発覚した。
最早、仔兎祇(こうさぎ)を産む事もできなければ、異国(ことつくに)に売る事も出来なくなった百合は、密かに神領(かむのかなめ)に戻され、東洋水山脈の山林に捨てられる事となった。
名無しは、百合を探して、山々を彷徨い歩いた。捨てられた者達が集まると言う谷間谷間を目指して彷徨い続けた。
どの谷間も、悪臭漂う地獄そのものであった。
神職家(みしきのいえ)に不要の長物と見なされ、捨て去られた者には、何一つ生きる術は与えられない。人里におりぬよう、童衆の忍達に厳しく見張られながら、餓死するか、病死するかを待つのみであった。
身動き取れぬ者は、誰にも世話されず、汚物を垂れ流し、皮膚病を患う者は、膿に塗れて野垂れ死であった。
そうして死んでいった者達も野晒しにされ、腐食と白骨化をひたすら待ち続ける状態であった。
漸く、百合を見出した岩屋谷も、そう言う状況にあったのである。
しかし、名無しは、そんな地獄の中で、一つの光明を見出した。
顔が崩れ、手足が溶け落ちる病を患う人々が、自分達の苦しみも顧みず、骨と皮ばかりであった百合を、必死に看病していたのである。
私は、もう一度抱きしめる事を夢見ていた百合を抱くより前に、彼らを抱きしめた。
「捨里(すてさと)…山地に捨てられた人々の集まる谷間は、そう呼ばれていたわね。
それを、拾里(ひろいさと)と呼び変えて、私達の楽園にしようとしてくれた。
お兄ちゃんは、神様よ。私達にとって、かけがえのない、神様なのよ。」
「神様なものか…」
名無しは、堪えきれず、吐き捨てるように言った。
山地を出て、総宮社(ふさつみやしろ)に戻った名無しは、母と共に拾里建設の構想を立てた。
捨里…
そう呼ばれてる、山地に棄てられた者達の集まる谷間を、療養所に変えようと企画したのだ。
元々、病人や障害を負った人々を捨てる捨里に療養所を建設したいと望んだのは名無しの母だった。
名無しの母は、昔から、子を産む道具として扱われ続ける兎神祇(うさぎ)達に胸を痛めていた。
兎と呼ばれ、人として見なされない子供達を救いたいと願っていた。
それができないなら、せめて、病に倒れ見捨てられた者達に最後の救いの手を差し伸べたいと望んでいた。
名無しは、その母の夢と願いに乗る形で、百合と百合を救ってくれた人々に救いの手を差し伸べたいと望んだ。
そして、兼ねてより、同じ思いを抱いていた、母の仲間達と共に実行に移そうとした。
当初、この構想に関心を示す者は殆どいなかった。
無論、金も労力も、全く支援は得られなかった。
山林に捨てられた者達は、何ら生産性のない者達であり、生かす価値も殺す価値もない者達であったのだ。
死のうと生きようと、誰もどうでもよかった。
そんな中、何故か、冷酷で知られる父が、名無しの話に乗った。
資金も提供すれば、惜しみない労働力の支援もしてれたのである。
しかし、父の目論見は、私とは大きく違っていた。
捨里の人々を、実験動物とみなしたのである。
父は、新しい医術(くすすべ)や薬術(くすりすべ)の人体実験として捨里の人々使う為に、私の企画にのったのだ。
捨里では、数々の残酷な実験が行われた。
人の命を救う為の実験ならまだしも、童衆が暗殺に使う猛毒や、密かに占領軍に依頼された、細菌実験や核実験としても、捨里の人々を使ったのである。
名無しは、捨里で行われる残酷極まりない実験を横目に見ながら、せめて、生きている間、安らかに暮らせる事を考える事にした。
彼らを実験ではなく、治療と看護をする為の医師(くすし)と看護師(みもりし)を派遣した。
仲間の技師(わざし)達を送り込み、彼らが自活できるよう、田畑を切り開き、様々な作業所の建設も行なった。
彼らが自分の暮らしを築ける為の小屋を建て、一人で生きれぬ者達の為に、岩戸屋敷も建てた。
多くの人々が、残酷な実験で死んでゆく中…
皆、私を神の如く崇めるようになった。
「みんな、まだ知らないのか?ここで行われたのは、残酷な実験だよ。診察(みたて)と称して、ここの人々を実験動物に使ったんだよ。」
私が、掠れる喉から、声を絞り出すように言った。
「そんなの、みんな知ってるわよ。」
百合は、穏やかな笑みを湛えて言った。
「最初から、みんな知っていたわ。それでも、あの地獄の中で野垂れ死ぬ筈だった私達に、生きる術、生きる意味を、お兄ちゃんは与えてくれたわ。みんな、生きていてよかったって思ったの。」
「やめろ…もう、やめてくれ…」
私は、拳を握り震わせた。
何故、憎まないのだ…
何故、罵声の一つも浴びせないのだ…
私は、そうされる事こそ相応しい人間なのだ…
「覚えてる?
名無しが漸く持ち越し、元気になった時の事…
私名無しの病気が感染るのを気にして、お兄ちゃんに触られまいとしたら、こう言ってくれたわ。
『私は、君を抱く為にここに来たんだ。結婚してほしい。結婚して、心から愛する気持ちで、君を抱きたい…』とね。それと、こうも言ってくれた。『私と一緒に生きよう、一緒に死んで行こう。これからは、ずっと一緒にいよう。』ともね。あの時、私思ったの。もういつ死んでも構わないって…この言葉を聞く為に、産まれ、生きてきたのだと。」
「そう言って、私は、君達を踏みにじってきたんだ。弄んで来たんだ。赤兎だった君をおもちゃにしただけでは飽き足らず、こんな所に来てまで…
神様なもんか、悪魔だよ…」
すると、いつから聞いていたのであろう。
菜穂は、希美を和幸に引き渡すと、こちらの方にやってきて、百合にも線香花火を差し出した。
「百合さんもやろう。」
「良いわね。私も、線香花火大好きだわ。」
菜穂は、百合が花火を受け取って立ち上がると、ニコッと笑った。
そして、名無しの方を向くと…
「親社(おやしろ)様、約束忘れたの!嘘つき!」
眉を寄せ、思い切り睨みつけたかと思うと、叩きつけるように、私の手にも花火を握らせて、また、和幸と希美の所に戻って行った。