兎祇物語

創作小説を掲載します。

拾里

兎祇物語

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紅兎

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惜別編

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(5)拾里
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岩屋谷奥深く入ると、冥府ヶ岳を背にして、一件の屋敷が建っていた。
岩戸屋敷…
岩屋谷に暮らす者達の中でも、完全療養を必要とする者達が暮らす所である。
庭先には、様々な花の木が植えられているが、今は皆枯れている。
新たな葉や蕾をつけるには、年越しの雪解けを待たねばならないだろう。
見れば、一人の老婆が愛しそうに木々の手入れをしていた。
「おやおや。カズ君、お帰りかい。」
「どうも。トヨさん、今日も精が出ますね。」
「いやー、ワシはこの子達だけが生きがいじゃからねー。早く、次の花、咲かないかねー。」
果たして、彼女がこれらの木々に花が咲くのを見る事ができるかどうかはわからない。
もう、内臓を侵す悪性腫瘍は末期状態なのだ。
それでも、彼女は次の花を楽しみにしている。
「トヨさん、お久しぶり。」
名無しが声をかけると…
「これはこれは、親社(おやしろ)様!お懐かしゅう!」
老婆は畏まって、平伏した。
「ほらほら、トヨさん、頭を上げて、ほら。」
名無しが、老婆の肩に手をやり、立たせようとすると…
「滅相もありません…ワシら、親社(おやしろ)様には、どれ程良くして頂いたか…」
老婆は、一層、深々と平伏した。
「何を仰られる、貴方達こそ、百合ちゃんにどれだけ良くして下さったか。さあ、さあ、頭を上げて、頭を…」
名無しが、なかなか頭をあげようとしてくれない老婆に困り果てていると…
「おばあちゃん、これ。」
菜穂が、隣でしゃがみこみ、可愛いおばあちゃんの手作り人形を差し出した。
「おやまあ、何て可愛いんだろう!」
老婆は、人形に向かってとも、菜穂に向かってとも知れず、感嘆の声を上げた。
「菜穂です。カズ兄ちゃんがお世話になりました。」
菜穂がぺこりと頭を下げると…
「いやいや、ワシの方こそ、カズ坊には…ふーん、あんたが、ナッちゃんかい。そーかい、そーかい。」
老婆は、貰った人形を嬉しそうに抱いたり撫でたりしながら、漸く立ち上がって何度も頷いた。
その時…
「お兄ちゃん。」
智子を預けて以来、一年ぶりになるだろうか…
懐かしい声が、名無しを呼んだ。
「百合ちゃん、久しぶり。また、大きくなった?」
「もう!ならないわよ。私を幾つだと思っているの!」
声の主は、そう言うと、鼻に皺を寄せて笑った。
何とも懐っこい笑顔…
あと数年で四十になると言うのに…
幾つになっても、変わらぬと名無しは思った。
幼き日、妹のように思っていた人。
そして、自らの手で無残に汚し、傷つけた人…
名無しが、人生で最初に出会った赤兎だ。
「カズ君、帰って来てくれたのね、良かった。」
百合は、女としては背は低くない。
それでも、一首は自分より身長のある和幸の頬を撫でて言った。
「本当に心配したわ。トモちゃんの後を追ってしまうんじゃないかと思ってね。」
和幸は、答える代わりに、眼差しを憂いに潤ませた。
「ナッちゃん、お久しぶり。」
「お久しぶりです。」
「カズ君、連れ戻してくれて、ありがとう。」
「そんな…私、何も…」
「ううん、貴方のお陰よ。貴方が来てくれたから…これも、愛の力ってやつかしら。」
百合が言うと、菜穂は少し照れたように頬を染めて首を傾げた。
「さあ、中に入って、みんな待ってるわ。」
智子が逝って以来、火が消えたように明るさの消えたと言う岩戸屋敷の食卓は、久しぶりの賑わいを見せていた。
十日近く行方を晦まし、智子の後を追ってしまったのではないかと思われていた和幸の帰還もさる事ながら…
思いもかけず、和幸が伴った客人達にも湧き上がっていたのだ。
「よくぞ、お越し下された…」
「ワシら…もう、生きて親社(おややしろ)様に合間見える事は出来ぬものと思うておりましたぞ…」
「この上は、いついつまでも…」
最初のうちこそ、屋敷の住人達は、爺祖大神(やそのおおかみ)その人が来たとでも言うように、恭しく名無しの周りを囲んでいた。
しかし、宴もたけなわになると、その関心は菜穂に移って行った。
「いやー、べっぴんさんだねー。」
「カズ坊と並ぶと、お内裏様とお雛様だー。」
「トモちゃんもめんこかったけど、ナッちゃんは、本当、べっぴんさんだー。」
菜穂は、周囲を取り囲んで口々に言う、おじちゃんやおばちゃん達の感嘆の声に、照れ笑いしながら、寝たきりの人達に食事を食べさせていた。
別に、誰に教わるわけでも言われるわけでもなく、菜穂はごく自然に、自分で食べられない住人の世話をしていたのである。
「ナッちゃんは、幾つなんだい?」
住人の一人が、菜穂に聞く。
「十五歳です。」
菜穂が答えると…
「へえ…トモちゃんより、五歳も年下なんだー…へえ…」
「何か、見た感じは、ナッちゃんの方が年上に見えるねー…」
「まあ、トモちゃんは背が小さかったし…
顔も少し丸っこくて、体付きなんか…胸はぺったんこで、十歳と言われてもおかしくなかったからねー…」
「でも、トモちゃんの鼻のホクロはちょっと色っぽかったぞ。」
住人達が、口々に言うのを菜穂はニコニコ笑って聞いていた。
「さあさあ、シゲ婆特性の芋汁だよー。煮込み大根もあるよー、たんと召し上がれー。」
皮膚が溶け崩れ落ちる重病を患った老爺・老婆達が、鍋いっぱいの汁物や煮物を持って来ると、声を張り上げた。
「こりゃー、豪勢だこと。」
まだ、四十そこそこだが、悪性腫瘍におかされ、余命数カ月の女が、感嘆の声を上げる。
「これで、魚の一品もあればなー。」
足を引き摺る若者が言うと…
「そうくると思ってな、見てくれ!」
顔半分崩れ落ち、左腕が丸々溶け落ちた五十絡みの男が、魚籠いっぱいの戦利品を自慢げに見せつけた。
「おー!」と、一斉に感嘆の声が上がる中…
「さばくのは、あたいに任せとくれ!」
子を産めず、しかし、難病に侵された為に異国(ことつくに)に売られる事もなかった、元白兎の女が、調理場から顔を出して魚籠を受け取った。
「お母さん、美味ちい、食べる…」
屋敷に入るなり、菜穂にピッタリひっつき離れようとしない少女が、鼻をクンクン鳴らして言った。
胸を患い、あと三月と言われている、まだ十歳の少女、希美である。
「そうね、お腹すいたね、早く食べたいね。」
菜穂が言うと、希美はニコニコ笑って、大きく頷いた。
そして…
「タク爺特製茄子の糠漬けと、僕が漬けた蕪を持ってきましたよ。」
和幸が大きな盆を抱えてやって来ると、皆一斉に歓声をあげる。
「カズ坊、そんなのワシらに任せて、こっちこっち…」
殆ど原型をとどめぬ程、顔が崩れ落ちてる老婆が盆を受け取り促すと、そこらにいた連中は和幸を引きずるように、菜穂の隣に座らせた。
「おやまあ…これはなんと…」
「まるで…暮れと正月まで飛び越して、一足早い節句じゃないか…」
雛飾りのように並んで座る和幸と菜穂を染み染みと見て、皆、一斉に嘆息した。
ここでは、諸々の病に侵された者も、障害を負う者も、関係ない。
皮膚が溶け崩れてしまってる者でも、それを隠す者もなければ、それを見て気味悪く思う者もいない。
皆、等しく仲間であり、家族なのだ。
久し振りにやってきた名無し達を歓待し、雛人形のような菜穂に大はしゃぎしながら、食卓は更に更に盛り上がりを見せたのだ。
いつの間にか、雪は止んでいた。
薬草園のある庭先で、和幸と菜穂が線香花火に火をつけている。
うっすら積もる雪の中の花火も良いものだと、私は思った。
皆が次々に寝に入る中、胸の病で余命短い希美が一人、頑張って花火を眺めてる。
「はい、希美ちゃん。」
希美は、菜穂に線香花火を手渡されると、今にも頬が落ちてしまいそうな程笑った。
どうしても、和幸と菜穂と川の字で寝たいのだと言う。
「冥府ヶ岳の向こう側に、また一つ拾里を作ったんですって?」
縁に並んで、和幸と菜穂と希美を眺めながら、百合は私に言った。
私は、軽く頷いた。
「お兄ちゃんは、生き神様…皆、そう言ってるわよ。私もそう思うわ。
覚えてる?初めて私が此処にきた当初…此処は、生き地獄そのものだった。食べるものもなく、動けぬ者を世話する者もなく、病気を看る者もない…
皆、病死か餓死か…苦しみを免れる為に自殺するしかなかった。」
百合の言葉を聞きながら、私はこの地に辿りついた時を思い出した。
赤兎は、十二歳までに仔兎祇(こうさぎ)を一人産まねばならぬと定められている。
しかし、赤兎が赤子を宿す事は滅多にない。
月のモノが始まるより先に御祭神を破かれ、子を産めない身体(からだ)になる者が殆どだからだ。
十二歳を待たず、命を失う者も少なくない。
幽里国神領(かくりのくにかむのかなめ)四千年の歴史の中で、度々、赤兎が子を成した事が、社(やしろ)の伝承を伝える古文書には記されている。
しかし、その殆どは、実際に赤兎が産んだ仔兎神(こうさぎ)ではない。
神領諸社(かむのかなめのもろつやしろ)は、十二までに仔兎祇(こうさぎ)を産ませた赤兎を、聖領(ひじりのかなめ)に献上しなればならない習わしになっている。
できなければ、面目が立たないばかりが、社(やしろ)の宮司(みやつかさ)は責任を問われて、罷免される。
その為、多くの場合、他の白兎が産んだか、兎神家(うさみのいえ)で生まれた子を、赤兎が産んだと称してる。
そうした中、百合は珍しく十二を前にして仔兎祇(こうさぎ)を産み、青兎となった。
しかし、それは新たな地獄の始まりを意味していた。
聖領(ひじりのかなめ)でも筆頭格の神妣島(かぶろみしま)、それも、聖宮社(きよつみやしろ)に献上された百合は、総宮社(ふさつみやしろ)にいた頃にもまして、絶え間ない穂供(そなえ)を強いられ、立て続けに何人も仔兔祇(こうさぎ)を産んだ。
そして、最後に孕んだ仔兎祇(こうさぎ)が死産した時、仔兎祇(こうさぎ)を産めなくなった。
本来なら、異国(ことつくに)に売られるはずであった。
しかし…
売られる直前、百合は感染性のある病に侵されている事が発覚した。
最早、仔兎祇(こうさぎ)を産む事もできなければ、異国(ことつくに)に売る事も出来なくなった百合は、密かに神領(かむのかなめ)に戻され、東洋水山脈の山林に捨てられる事となった。
名無しは、百合を探して、山々を彷徨い歩いた。捨てられた者達が集まると言う谷間谷間を目指して彷徨い続けた。
どの谷間も、悪臭漂う地獄そのものであった。
神職家(みしきのいえ)に不要の長物と見なされ、捨て去られた者には、何一つ生きる術は与えられない。人里におりぬよう、童衆の忍達に厳しく見張られながら、餓死するか、病死するかを待つのみであった。
身動き取れぬ者は、誰にも世話されず、汚物を垂れ流し、皮膚病を患う者は、膿に塗れて野垂れ死であった。
そうして死んでいった者達も野晒しにされ、腐食と白骨化をひたすら待ち続ける状態であった。
漸く、百合を見出した岩屋谷も、そう言う状況にあったのである。
しかし、名無しは、そんな地獄の中で、一つの光明を見出した。
顔が崩れ、手足が溶け落ちる病を患う人々が、自分達の苦しみも顧みず、骨と皮ばかりであった百合を、必死に看病していたのである。
私は、もう一度抱きしめる事を夢見ていた百合を抱くより前に、彼らを抱きしめた。
「捨里(すてさと)…山地に捨てられた人々の集まる谷間は、そう呼ばれていたわね。
それを、拾里(ひろいさと)と呼び変えて、私達の楽園にしようとしてくれた。
お兄ちゃんは、神様よ。私達にとって、かけがえのない、神様なのよ。」
「神様なものか…」
名無しは、堪えきれず、吐き捨てるように言った。
山地を出て、総宮社(ふさつみやしろ)に戻った名無しは、母と共に拾里建設の構想を立てた。
捨里…
そう呼ばれてる、山地に棄てられた者達の集まる谷間を、療養所に変えようと企画したのだ。
元々、病人や障害を負った人々を捨てる捨里に療養所を建設したいと望んだのは名無しの母だった。
名無しの母は、昔から、子を産む道具として扱われ続ける兎神祇(うさぎ)達に胸を痛めていた。
兎と呼ばれ、人として見なされない子供達を救いたいと願っていた。
それができないなら、せめて、病に倒れ見捨てられた者達に最後の救いの手を差し伸べたいと望んでいた。
名無しは、その母の夢と願いに乗る形で、百合と百合を救ってくれた人々に救いの手を差し伸べたいと望んだ。
そして、兼ねてより、同じ思いを抱いていた、母の仲間達と共に実行に移そうとした。
当初、この構想に関心を示す者は殆どいなかった。
無論、金も労力も、全く支援は得られなかった。
山林に捨てられた者達は、何ら生産性のない者達であり、生かす価値も殺す価値もない者達であったのだ。
死のうと生きようと、誰もどうでもよかった。
そんな中、何故か、冷酷で知られる父が、名無しの話に乗った。
資金も提供すれば、惜しみない労働力の支援もしてれたのである。
しかし、父の目論見は、私とは大きく違っていた。
捨里の人々を、実験動物とみなしたのである。
父は、新しい医術(くすすべ)や薬術(くすりすべ)の人体実験として捨里の人々使う為に、私の企画にのったのだ。
捨里では、数々の残酷な実験が行われた。
人の命を救う為の実験ならまだしも、童衆が暗殺に使う猛毒や、密かに占領軍に依頼された、細菌実験や核実験としても、捨里の人々を使ったのである。
名無しは、捨里で行われる残酷極まりない実験を横目に見ながら、せめて、生きている間、安らかに暮らせる事を考える事にした。
彼らを実験ではなく、治療と看護をする為の医師(くすし)と看護師(みもりし)を派遣した。
仲間の技師(わざし)達を送り込み、彼らが自活できるよう、田畑を切り開き、様々な作業所の建設も行なった。
彼らが自分の暮らしを築ける為の小屋を建て、一人で生きれぬ者達の為に、岩戸屋敷も建てた。
多くの人々が、残酷な実験で死んでゆく中…
皆、私を神の如く崇めるようになった。
「みんな、まだ知らないのか?ここで行われたのは、残酷な実験だよ。診察(みたて)と称して、ここの人々を実験動物に使ったんだよ。」
私が、掠れる喉から、声を絞り出すように言った。
「そんなの、みんな知ってるわよ。」
百合は、穏やかな笑みを湛えて言った。
「最初から、みんな知っていたわ。それでも、あの地獄の中で野垂れ死ぬ筈だった私達に、生きる術、生きる意味を、お兄ちゃんは与えてくれたわ。みんな、生きていてよかったって思ったの。」
「やめろ…もう、やめてくれ…」
私は、拳を握り震わせた。
何故、憎まないのだ…
何故、罵声の一つも浴びせないのだ…
私は、そうされる事こそ相応しい人間なのだ…
「覚えてる?
名無しが漸く持ち越し、元気になった時の事…
私名無しの病気が感染るのを気にして、お兄ちゃんに触られまいとしたら、こう言ってくれたわ。
『私は、君を抱く為にここに来たんだ。結婚してほしい。結婚して、心から愛する気持ちで、君を抱きたい…』とね。それと、こうも言ってくれた。『私と一緒に生きよう、一緒に死んで行こう。これからは、ずっと一緒にいよう。』ともね。あの時、私思ったの。もういつ死んでも構わないって…この言葉を聞く為に、産まれ、生きてきたのだと。」
「そう言って、私は、君達を踏みにじってきたんだ。弄んで来たんだ。赤兎だった君をおもちゃにしただけでは飽き足らず、こんな所に来てまで…
神様なもんか、悪魔だよ…」
すると、いつから聞いていたのであろう。
菜穂は、希美を和幸に引き渡すと、こちらの方にやってきて、百合にも線香花火を差し出した。
「百合さんもやろう。」
「良いわね。私も、線香花火大好きだわ。」
菜穂は、百合が花火を受け取って立ち上がると、ニコッと笑った。
そして、名無しの方を向くと…
「親社(おやしろ)様、約束忘れたの!嘘つき!」
眉を寄せ、思い切り睨みつけたかと思うと、叩きつけるように、私の手にも花火を握らせて、また、和幸と希美の所に戻って行った。

幸福

兎祇物語

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紅兎
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惜別編

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(4)幸福
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「良いところね…」
菜穂は、そこに辿り着くと、辺り一帯を静かに見回しながら言った。
「トモ姉ちゃんは、こーんな所に暮らしてたんだ。」
平坂峠を越えて、岩屋谷(いわやたに)に入ると、そこは別世界であった。
物静かな森林に囲まれる中、一面、数多の田畑が広がっていた。
収穫は既に終えていて、ここ数日の雪で埋もれた畑は、どれがいかなる作物を実らすかわからなくなっていた。
ただ、白銀に染められ、キラキラ輝くのが美しい。
身体(からだ)の動く男女が、雪を掻き分け、役目を終えた作物の名残を取り除いている。
「こんにちわー。」
「こんにちわー、寒いですねー。」
歩いていると、至るところで、声がかかる。
「いやー、雪が止んでくれただけ、有難い事で…」
手を振ると、穏やかな笑顔を浮かべ、手を振り返す人々。
皆、一生懸命働いている事に変わりはないが、更に一山超えた社領(やしろのかなめ)のように、あくせく働いていると言う様子はない。何処か、のんびりゆったり働いている。
よく見ると、一見、元気そうに思われる男女だが、何かしら怪我なり病いなりを抱えていて、それぞれ自分の体を労わりながら、働いている。
あるいは、共に働く者同士、互いの体を労わり、支え合いながら働いている。
「此処が、トモ姉ちゃんと二人で過ごした小屋ね。」
一軒の小屋の前に立つと、菜穂はシミジミと眺めながら言った。
戸は開け放たれ、藁や干し草、薪枝が積まれ、編んでる途中の雨合羽や長靴が無造作に置かれている。
隅には、折りかけのムシロがそのままになっていた。
「まだ、トモ姉ちゃんが此処にいるような気がする…」
中に入りながら、菜穂が振り向いて言うと、和幸は憂に満ちた眼差しを向けて、微かに口元を綻ばせた。
「カズ兄ちゃん、トモ姉ちゃんは、幸せだったよ、きっと…」
菜穂が言うと、和幸は菜穂の頭を撫でながら、ジッと、ムシロ織機の方を見つめた。
智子が折ってる途中で倒れ、その時のままになっている。
『愛ちゃん、寒いだろうな…』
寝込むようになると、事ある毎に和幸の胸でシクシク泣くようになった。
『あの子だけ、ずっと裸でいなけりゃならないなんて…あの子だけ、いつもいつも寒い思いしなきゃならないなんて…』
まだ、元気に仕事ができていた頃は、一時期、忘れていた。
寝たきりの病人、脳をやられて子供帰りした病人、身動きできぬ怪我人の世話に明け暮れて、むしろ、生き生きしていた時期もあった。
『さあさあ、沢山食べて、元気出して下さいな。』
『なーんにも心配しなくて良い。これまで、私達は、みーんな、トモちゃんにどれだけ世話になったか、わからないんだからね。これからは、何でも、私達が、トモちゃんの力になるからね。』
身の回りの事は大概でき、桑の仕分け、蚕の世話などの仕事はできるものの、重い病気を煩い、手足の一部や、顔の一部が欠けてしまったような人々が、毎日訪れては、こまめに世話を焼いてくれた。
皆、元気だった頃の智子が、ずっと親切に世話していた人々であった。
智子は、彼ら彼女らがいる間、起き上がって、にこやかに話しをしたりした。
『ほらほら、そんな事は、私らに任せて、カズ坊はトモちゃんの側にいてあげな。』
『ほれ、芋の煮ころがしと、青ネギと豆腐の味噌汁ができたよ。トモちゃんに食べさせておやりな。』
和幸は、皆に言われるままに、椀を取り、智子に食べさせてやった。
『美味しい…シゲさん、このお芋、凄く美味しい。』
智子は、青く痩せ細った顔いっぱいに笑みを浮かべて言った。
『なーに、全部、カズ坊に教わった通り煮込んだだけだよー。』
『あたしの味噌汁もそうさ。ダシの出し方は、全部、カズ坊の受け売りさー。』
『トモちゃんは良いねー、こんなに何でもできて、優しい旦那さんがいてさー。私も、こんな良い人、欲しかったねー。』
誰かが言えば…
『今からでも、遅くないではありませんか。良い人、見つければ良いでしょう。』
和幸が言うと…
『そんな、ね…』
その人は、思わず崩れ切った顔を悲しげに撫で回す。
『そんな事はないでしょう。なんなら、僕が…』
『ダメダメ!カズ坊には、こーんなべっぴんさんの嫁さんがいるじゃない!』
『そーよ、ほら、トモちゃんが心配そうな顔してよ。』
すると、智子は口に手を当てて、クスクス笑った。
誰かが訪ね、誰かと話したりしてる時は、楽しそうにしていた。
しかし、皆が帰ってしまうと、忽ち涙目で俯き出した。
『明日、また、みんな来てくれるよ。寂しがる事はないよ。』
『うん…』
和幸が肩を抱き、そっと寝かせながら自分も隣に入ると、智子は和幸の手を握った。
『カズちゃんの手、暖かい…』
智子は言いながら、和幸の手に頬ずりした。
和幸は、静かな笑みを浮かべて、智子の頭を撫でてやった。
『覚えてる?初めて、社(やしろ)に兎幣された頃、カズちゃん、毎日べそかいて泣いててさ…私がこうやって手を握ってあげると、やーっと泣き止んで、私の胸で眠ったんだよ。』
智子が言うと、和幸は頷いた。
『あの頃、カズちゃん、私の胸くらいもなくてさ…私、てっきり年下だと思ってた…
可愛いかったなー
それが、今じゃ、私がカズちゃんの半分もありゃしない…
大きくなったんだね。』
『トモちゃんのおかげだよ。トモちゃんのおかげで、僕は大きくなれた…生きてこれたよ。』
言いながら、和幸はグッと智子を抱き寄せた。
『暖かい…』
智子は、和幸の胸に顔を埋めながら言った。
和幸は、智子を包み込むように抱きしめた。
『私だけ、良いのかな?ずるくないかな?』
『どうして?』
『愛ちゃん…寒いだろうな…
毎日、毎日、裸のまんまでいさせられて…私達は通わなくて済む学舎(まなびのいえ)にも行かされて…
行く先々で、いろんな人達のオモチャにされて…』
『人には、それぞれ、持って生まれた宿命がある。それは、僕達も同じだよ。』
智子は、和幸の胸の中で、急に涙ぐみ…
『やっぱりずるいよ…あの子、みんなに喜びをくれたわ。みんなに笑顔をくれたわ。みんなの生きる支えだった。だのに、あんな…』
智子は、シクシクと泣き出した。
『あの子も同じだったわ。』
『美香ちゃんか…』
『あの子…自分は何も着れないのに…
私達の為に、手袋や襟巻きを編んでくれたわ。
あんな優しい子達が…どうして…』
和幸は何も答えず、ただ、智子の頭を撫で続けた。
『私も裸になろうかな…
裸になって、あの人達のところに行くの…
あの人達、あんな病気になっちゃったばっかりに、ここに閉じ込められて…人と接する事も禁じられて…
身体(からだ)はちゃんとしてるのに、穂供(そなえ)も、子供をつくる事も許されないなんて…』
『だから、いくらしても大丈夫な、トモちゃんがやらせてやるのか?良い考えだね…
それなら、僕も裸になって、一緒に行こう。それで、シゲさんの相手でもしてやろう。』
和幸は、優しく笑って頷いた。
『ダメよ!』
智子は、慌てて首を振る。
『ダメダメ!だって、カズちゃんは健康なのよ!親社(おやしろ)様が、病気と言う事にして下さってるだけよ!
あの人達の病気が感染ったら…』
『あの病気は感染らない…百合さんが言ってたじゃないか。』
『でも…カズちゃんが、そんな事をしたら…私…』
『トモちゃんが、その身体(からだ)を傷めつける事をしたら、僕は悲しい。』
和幸は、ベソベソ泣き出す智子が言い終えるのも待たず、先に言った。
『僕だけじゃない。あの人達もみんな悲しむ。トモちゃんとやれて、喜ぶ人なんて誰もいないよ。
みんなを傷つけて、悲しませたいなら…
良いよ、僕も一緒に裸になって、あの人達のところに行こう。』
『私…こんな幸せで良いの?』
智子は、涙に濡れた顔をあげて言った。
『愛ちゃんが、一人だけ裸で震えてるのに…美香ちゃんがあんな可哀想な目にあったのに、私だけ、幸せになって良いの?』
『僕は幸せになっちゃダメ?幸せになる資格ない?』
和幸は、智子の頬を撫でながら、逆に聞き返した。
『えっ?』
『いつも、トモちゃんの世話をしにきてくれる、あの人達も、幸せになる資格ない?感染りもしない病気を感染ると言われて、シゲさんは七十年以上も閉じ込められて来たんだよ。
僕は、みんな幸せになる資格があると思う。権利があると思う。いや、資格や権利の問題じゃない。僕が幸せになって欲しいんだよ。
でも、トモちゃんは、そう思わないんだね。愛ちゃんと美香ちゃんの事しか頭にない。だったら、良いよ。僕も、雪の中、トモちゃんと裸になって、あの人達のところに行って、一緒にみんなを悲しませよう。
やっと、トモちゃんと出会って見つけた、みんなの生きる意味や喜びを取り上げてしまおう。』
『でも、愛ちゃん…美香ちゃん…』
『トモちゃんが、身体(からだ)を大事にしなかったら、一番悲しむのは、愛ちゃんと美香ちゃんじゃないかな?
僕、トモちゃんが裸でみんなのところに行くようになったら、愛ちゃんに話すからね。トモちゃんは、愛ちゃんが可哀想だと言って、ここでこんな事してるってね。』
『やめてっ!』
智子は、顔色を変えて、哀願した。
『やめてっ!お願い!愛ちゃんにそんな話ししないで!』
『だったら…』
和幸は、また、穏やかな笑みを浮かべて、智子の頬を撫でた。
『僕や、あの人達を幸せにして。これは、僕のお願いだよ。』
智子は、また、和幸の胸の中で泣きだした。
『でもさ…』
和幸は、幼子のように、いつまでも胸の中に顔を埋めて泣き噦る智子の背中を撫でてやりながら、ふと思い出したように言う。
『此処で、一日中、二人して裸で過ごすのは良いね。』
『えっ?』
思わず顔をあげる智子が、小首を傾げて和幸に言うと…
『だからさ…』
和幸は、満面の笑みを浮かべながら智子の襟元に手を伸ばし、肩から下ろしてゆくと…
『そう言う事か…』
智子も、漸く和幸の意図を察して、クスクス笑いながら、身を委ねる。
『トモちゃん、綺麗だよ。とーっても綺麗だ。』
智子の帯を解き、着物を腹部まで下ろすと、そう言いながら、和幸も器用に着物を脱ぎ始める。
やがて、二人とも一糸纏わぬ姿になると、和幸はそっと唇を重ね、舌先を絡ませあいながら、智子の身体(からだ)を撫で始める。
最初は頬、次に首筋、肩、背中へと撫でる手を移し…
やがて、胸に手を伸ばし、優しく揉み始めると、
『アーッ…アーッ…アーッ…』
と、静かな喘ぎを漏らしながら、和幸の顔を見上げ、安らかな笑みを浮かべると、愛しい人の頬に手を伸ばす。
和幸もまた、その手を取ると、優しげな笑みを返して、智子の胸を揉む手を腹から腰、腰から股間へと移して行き…
『アンッ…アンッ…アンッ…』
神門(みと)の縦線にそって撫で回され、先端の神核を指先で転がすように弄られると、今度は赤子の鳴き声にも似た、甘えるような喘ぎを漏らし始めた。
『トモちゃん、愛してるよ。』
『私も、カズちゃんを愛してる。』
和幸は、智子とうっとりするような笑みを交わし合うと、それまで互いに重ね合わせていた唇を、首筋から肩、肩から胸へと、舌先でチロチロ舐めながら、移して行った。
『アァァァ…カズちゃん…カズちゃん…アァァァァ…』
智子もまた、和幸に撫で回される神門(みと)を湿らせ、全身が熱ってくるのを感じながら、和幸の首筋から肩にかけて唇と舌先を這わせてゆく。
しかし…
『トモちゃん、どうしたの?』
和幸は、唇と舌先を、智子の胸の突起まで運んだ時、不意に顔をあげて、首を傾げた。
『カズちゃん、ごめんね…』
ポツリ呟く智子は、両目を潤ませている。
『何が?』
『私の身体(からだ)…ちゃんと、女の子の形にできてなくて…』
『何だ、そんな事か…』
和幸はニッコリ笑って言うと、涙に濡れた智子の頬に頬擦りをした。
『ごめんね…本当に、ごめんね…』
智子は、尚も謝り続けながら、いつしかシクシクと泣き始めた。
智子の身体(からだ)は、かなり幼いうちに成長を止めてしまっていた。
智子は、物心ついた頃から、実の父親と、酒代欲しさに父に売られた男達に、弄ばれ続けていた。
その際、何度も参道に穂柱を捻り込もうとされては、どうしてもできないと知ると、指や小枝、棒切れをねじ込まれ、掻き回され続けてきた。
その時、御祭神が慢性的に傷つけられ続けてきたのと、まともに食べさせて貰えなかった栄養不足とで、身体(からだ)の成長が止まってしまったのである。
故に、二十歳を迎えて尚、幼児のような身体(からだ)をしていた。
胸の膨らみはなく、未だ神門(みと)に若草が生えるどころか、発芽の兆しすらなくまっさらであった。
そればかりか、末期の悪性腫瘍に侵されるまでもなく、遂に一度も目覚める事なく、御祭神は働きを止め、月のモノの訪れすらなかったのである。
『謝る事なんてないさ。僕は、トモちゃんの、この胸が好き、この神門(みと)が好き…』
和幸はそう言うと、尚もメソメソなき続ける智子の真っ平らな胸の乳首を吸い、白桃色した神門(みと)を、ワレメ線に沿って愛しげに撫で回した。
『アッ…アッ…アッ…カズちゃん…カズちゃん…アァァァァ…』
智子は、未だ包皮の被った神核(みかく)を指先で軽く転がされるのに合わせ、穏やかな喘ぎを漏らしてゆく。
『トモちゃん、気持ち良い?』
『うん。』
和幸は、小さく頷き甘えるように顔を胸に埋めてくる智子の小さな肩をそっと抱くと、一層、丹念に神門(みと)を撫で回して行った。
いつしかそこは、優しい愛撫に応えてシットリ湿り出している。
『僕は、辛い時、苦しい時、いつもこの胸に抱かれて支えられた。この神門(みと)に受け入れて救われた。僕の宝物だよ。』
『カズちゃん…』
『それに、ほら。僕の身体(からだ)も、そんなトモちゃんの中に入りたがっているよ。』
不意に、和幸が十分に反応を示した穂柱を、智子の手に触れさせると…
『まあ、本当。』
智子は、漸くクスクス笑いだし…
『こんなに大きくなって…出会った頃は、あんなに小さくて可愛いかったのにね。』
『おいおい、トモちゃん。それ、酷いなあ。』
和幸が弱った顔して頭を掻き出すと…
『だって、本当に可愛かったんですもの。まだ、指先ほどの長さしかなくて、小枝ちゃんみたいに小さいのに、弄ってあげるとピーンと勃たせてさ…
あんまり可愛くて…思わず食べちゃいたくなっちゃった…』
一層、おかしそうに笑い出しながら、あの時と同じように、和幸の穂柱を頬張り、チロチロと舐め出した。
『ハァ…ハァ…ハァ…』
次第に息を上げながら、ふと見れば、智子は両脚を大きく拡げ、誘うように剥き出された神門(みと)が目に留まる。
『トモちゃん…』
和幸は、憑かれたように濡れそぼった股間に顔を埋めた。
『ハァ…ハァ…ハァ…』
『アッ…アッ…アッ…』
小刻みな呼吸音と安らかな喘ぎが交差する。
気づけば、二人は巴の形に折り重なり合い、夢中になって互いの局部を丹念に舐め合っていた。
『それじゃあ、トモちゃん。』
『うん、来て!私の御祭神様も、カズちゃんに会いたがってるわ!』
十分に潤った神門(みと)を指先に掬いあげ両手を広げる智子を、和幸は思い切り抱きしめ唇を重ね合わせると、そっと押し倒していった。
しかし…
『イッ…!痛い!』
和幸が、穂柱を参道に滑り込ませようとした刹那、智子は思わず呻きを漏らした。
『トモちゃん…』
和幸は、慌てて動きを止め、挿れかけた穂柱を、参道から引き離した。
『だ…大丈夫…カズちゃん、来て、私の中に来て。』
思わずまた、涙ぐむ智子に…
『良いんだよ。もう、良いんだ。』
和幸が、優しく頬を撫でながら言うと…
『私、カズちゃんの為に何もしてあげられなかった…まともな女の身体(からだ)で悦ばせてあげる事も、ナッちゃんみたいに赤ちゃん産んであげる事も、何にもできなかった。だのに、もう、受け入れてあげる事もできない。
これじゃあ、女の子に産まれてきた意味ないよ…女の子として生きてる意味ないよ…』
智子は言うなり、声をあげて泣き出した。
すると…
『でも、トモちゃんはトモちゃんと言う存在として、今、確かに僕の目の前にいる。』
和幸は、智子の顔をあげると、それまでの優しい笑顔とは打って変わり、真剣な眼差しをまっすぐに向けて言った。
『トモちゃんが、トモちゃんと言う存在として、僕の前に現れ、側にいてくれたから、僕は生きて来れた。今も生きていられる。
トモちゃんと言う存在がなければ、僕はきっと…
それは、これからも変わらない。未来永劫、変わらないんだよ。』
『良いの?こんな私で、本当に良いの?私、何もしてあげられないよ。女の子として、カズちゃんの為に、何も…』
『それでも、トモちゃんの温もりがある。こうして、確かに此処にある。』
和幸は、そう言うと智子を思い切り抱きしめ…
『この温もりが有れば良い…この温もりだけあれば良い…他に何もいらない…必要ない。』
いつまでも、頬擦りをし続けた。
「本当は、サナ姉ちゃんも、ここに来る筈だったのよね。」
折かけのムシロ機を撫でながら、菜穂は不意に言うと俯いた。
また、あの大きな赤ん坊みたいな少女を思い出したのだ。
四人めの仔兎祇(こうさぎ)を産んだ早苗は、肥立ちが悪いだけでなく、産んだ子を連れ去られた悲しみも重なり、一月以上経っても、なかなか回復しなかった。
名無しは、完全に回復するまで…
いや、体調不良を理由に、一日でも長く休ませたいと思っていた。
叶うなら、二度と捧穂祭(ささげ)には出したくなかった。
しかし、早苗は、私の兎祇(うさぎ)達の扱いについて、総宮社(ふさつみやしろ)から横槍が入ってきている事を知っていた。
領内(かなめのうち)の神職家(みしきのいえ)の者達からも叩かれている事も知っていた。
早苗の事でも、何かと理由つけて休ませては、早く出せと迫られてる事も知っていた。
何より…
名無しが一番困り果てていたのは、その度に逆上して暴れ出しそうになる貴之の事である事も知っていたのである。
『親社(おやしろ)様、早苗はいつまで遊ばせておくおつもりですかなー』
『産後の傷が癒え、産褥を終えるまでだ。』
『ほほう…に、しては、随分と時間がかかっておりますわなー。』
『左様…白兎は、仔兎祇(こうさぎ)を産んで一月経ったら、床上の祭祀(まつり)と穂供(そなえ)を済ませ、捧穂(ささげ)の祭祀(まつり)に出すのが定めの筈。』
『早苗が仔兎祇(こうさぎ)を産んで、とおに一月経っておりますぞ。』
あの日も、産後の傷が癒えぬ早苗を早く出せと、中務輔(なかつかさのすけ)河下登使主鱶見褒吾郎和邇雨経世(かわしたのぼるのおみふかみのほめごろうわにさめのつねよ)は、神使(みさき)衆を引き連れ、社(やしろ)に押し寄せていた。
『だから、何度言えばわかる!あの子は、人より幼い身体(からだ)で何度も出産し、弱り切っている!しっかり休ませねば、完全に壊れて、仔兎祇(こうさぎ)を産めなくなる!』
『では、まだ、穂供(そなえ)に耐えられるまで、回復しておらぬと?』
『そうだ!今回の出産も、腹を切らねばならぬ程の難産だった!途中、何度も死にはぐったのは、立会人を務めたお前達もその目で見ただろう!』
『ならば、医師(くすし)に確かめさせましょう。今日は、医寮(くすのつかさ)より、医頭(くすのかみ)の河田孜(かわだのつとむ)先生直々に同行させてますでなー。』
『必要ない!医師(くすし)の診断なら、医弁(くすのじょう)の義隆が下してる!』
私が必死に神使(みさき)達を締め出そうとすると…
『親社(おやしろ)、どけ…』
見るからに全身から湯気を出し、浅黒い顔を更にドス黒く痙攣らせた貴之が、鉈を片手に名無しを押し除けた。
『よせ!タカ君は下がって…』
貴之は、止めに入ろうとする名無しを突き飛ばすや、登使主(のぼるのおみ)の胸ぐらを掴みあげた。
『てめえ、チビを出せだと?』
『た…貴之…何する気だ…』
『聞いてんのはこっちだ!答えろ!』
『そ…そうだ…兎は…白兎は…捧穂(ささげ)にて…御祭神に白穂を頂くのが…』
貴之はみなまで言わせず、胸ぐらを掴み上げたを突き飛ばし、蹴り上げ、更にもう一度胸ぐらを掴むと、手にした鉈を振り上げた。
『ヒィーッ!!!』
登使主(のぼるのおみ)は、低い声をあげるなり、思わず失禁した。
『貴之!何をする!』
『そんな真似して、ただで済むと思ってるのか!』
忽ち顔色変えた他の神使(みさき)達は、貴之を遠巻きに尻込みしながら、目線だけは上目線で言い放つと…
『ただですまねえんなら、どうなるってんだ?』
貴之は、一層、怒りと憎悪に激らす眼差しを、周囲を取り巻きつつ、一歩も前に出られない神使(みさき)達を一巡して睨み据えた。
神使(みさき)達は、一様に絶句する。
『兎神祇(うさぎ)が神使(みさき)に手をかければ、腕を切り落とされる。』
名無しは、唖然と取り囲んだまま、金縛りにでもあったような神使(みさき)達の間をわけいると、貴之の鉈を握る腕を掴んだ。
『何だと…』
貴之は、名無しの顔を睨み返すと、掴まれた腕に力を込め、怒りに全身をワナワナと震わせた。
『サナちゃんを抱けなくなるぞ。良いのか?』
名無しもまた、貴之の腕を握る手に一層の力を込めて言った。
『上等だ…』
貴之は、登使主(のぼるのおみ)に向けていた憎悪の眼差しを私に向けると…
『ぶっ殺す!』
神使(みさき)の眉間にとも私の眉間にともなく、私に掴みあげられた鉈を握る腕を、力づくで振り下ろそうとした。
その時。
『皆様、御心配をおかけして申し訳ありません…』
殆ど裸とも言える、煤けた白い襦袢を一枚纏っただけの早苗が姿を現し、皆の前に正座して手をついた。
『サナちゃん!』
『チビッ!』
思わず声を上げて振り向く名無しと貴之に、早苗は、もう大丈夫と言うように、無邪気な笑顔を傾けてきた。
『馬鹿野郎!何しに此処へ!』
貴之は、顔色を変えて叫ぶや、登使主(のぼるのおみ)の胸ぐらを掴む腕の力を一瞬抜いた。
その隙をつき…
『てめえ!離せ!離しやがれ!』
名無しは、貴之の腕を捻り、その場に組み伏せた。
『サナちゃん、休んでなさい。君の身体(からだ)は、まだ元にもどっていない。』
『親社(おやしろ)様、ありがとうございます。
私は、もう大丈夫です。』
『大丈夫なものか。無理をしたら、もう、赤子を産めなくなる。大きくなったら、タカ君と暮らして、タカ君の子を産むんじゃないのか?』
私は、いつもの懐こい笑みを傾ける早苗を嗜めるように言うと…
『やあ、早苗じゃないか。やーっと、顔を見せてくれたね。』
登使主(のぼるのおみ)は、貴之に胸ぐらを掴まれ、蒼白な顔をしていたのが嘘のよう、骸骨のような顔を綻ばせ、分け入るように言った。
『今回の出産も大変だったねえ。腹をあんなに切り裂かねばならず…でも、よく頑張った、偉いぞ。』
『ありがとう、ございます。でも、もう、大丈夫です。また、次の仔兎祇(こうさぎ)を産めるよう、務めさせていただきます。』
『よしよし、良い心がけだ。さあ、それじゃあ、早速、床上げ式を行おう。』
『はい。』
早苗が、登使主(のぼるのおみ)にも、あの懐こい笑みを浮かべると、登使主(のぼるのおみ)は、ますます顔を綻ばせ、早苗の襦袢の胸元に手を忍ばせた。
『登使主(のぼるのおみ)、よせ!早苗は、まだ、傷が治ってないんだぞ!』
名無しが思わず声をあげると…
『何を仰る、元気そうではないか。』
『やっと、此処まで回復したんだ!だが、まだ、傷も塞がり切ってなければ、身体(からだ)もまだ、戻り切ってない!昨日も、それで熱を出していた!』
『なーるほど、それは、いけませんわなー。』
登使主(のぼるのおみ)は言うなり、側に控える他の神使(みさき)達とは、明らかに出立の違う男…社領医師(やしろのかなめのくすし)の長、河田孜医頭(かわだのつとむのくすのかみ)に目配せした。
孜医頭(つとむのくすのかみ)は、登使主(のぼるのおみ)と互いに頷き合うと…
『それでは、それがしが、早苗を診てしんぜよう。』
早苗の側に寄るなり、徐に襦袢を引き剥がすと、早苗を全裸にした。
『て…テメェ!』
『何をする!』
貴之と名無しが、同時に声を上げると。
『何をするって、医師(くすし)のする事は一つですわなあ。診察(みたて)ですよ、診察(みたて)…』
登使主(のぼるのおみ)がニヤけて言う傍ら…
『そこに座れ!』
孜医頭(つとむのくすのかみ)は、命令口調で言うなり、早苗を近くの板敷に座らせると、全身を撫で摩り始めた。
『ふむふむ。綺麗な肌艶をしておるな。』
孜医頭(つとむのくすのかみ)が首筋から肩、肩から背中へと、舐めるように撫で回してゆくと、早苗は膝に乗せた手をグッと握り、硬く目を瞑った。
『手触りもなかなか良い…』
孜医頭(つとむのくすのかみ)は言いながら、手が掌にすっぽり治る小さな胸の膨らみに辿りつくと、左右交互に、なぶるように撫で回し…
『今回で、産んだ仔兎祇(こうさぎ)は四羽目なんだって?』
『は…はい…』
『にしては…参道も、良い色をしておる。』
震える早苗の両脚を開かせると、指先で神門(みと)を広げ、参道を覗きこみながら言った。
更に…
『おまえ、今年で幾つになる?』
『十…四…です…』
『十四…だと?に、しては、随分と幼い身体(からだ)をしておるな。胸の膨らみも僅かなら、神門(みと)に若草も生えとらん。まだ、十二にもならんかと思ったぞ。どれどれ、中の具合も診てしんぜよう。』
孜医頭(つとむのくすのかみ)は関心深げに言うと、指先を乱暴に捻りこんだ。
『アァァァーッ…!』
早苗は、思わず顎と背中を退け反らせて声を上げた。
『ほほぅ〜。兎幣され、田打早々孕ませて以来、年に一羽づつ産んだと言うから、どんな早熟な身体(からだ)をしてるかと思いきや…中もこんなに小さくて、凄い締め付けだー』
『アッ!アッ!アーーーーーーーーッ!!!』
孜医頭(つとつのいのかみ)は、早苗が身を捩って声を上げるのを、目を細めて見つめながら、中に挿れた指をぐるぐると掻き回し始めた。
『チビーッ!』
名無しに組み伏せられる膝の下で、貴之が再び踠き暴れ出し…
『テメェーッ!殺す!殺す!ぶっ殺してやる!』
怒りにギラつかせた眼差しを孜医頭(つとむのくすのかみ)に向け、喚き散らした。
『もうよせ!十分だろう!』
名無しもまた、此処で解き放てば、本当に孜医頭(つおむのくすのかみ)を殺しかねない貴之を必死に押さえつけながら、声をあげた。
『早苗は、発育の遅い子なんだ!だのに、どう言うわけか、御祭神だけは他の子よりも発達し、子供ができやすい!だから、その身体(からだ)で、毎年、子を産む事になった!それが、どんなに苦しい事か、お前も医師(くすし)ならわかるだろー!!!』
すると…
『いいや、まだまだですわなー。』
登使主(のぼるのおみ)が側に寄るなり、名無しの耳元で囁きかけた。
『手緩い貴方様に、捧穂(ささげ)の務めを怠る兎神子(うさぎ)共の扱いをしっかり指南するよう、総宮社(ふさつみやしろ)の爺宮(おうみや)様より、しかと仰せつかっておりますでなー。』
『父上から…だと?』
『作用。それと、もう一つ…
もし、我らの指南をお拒みあそばされるなら、即座に崇儀会(あがめののりのえ)に計り、貴方様に不信任決議を出すように…とも…』
『何だと!』
『そのおりには、貴方様に替えて、康弘連(やすひろのむらじ)様の御嫡孫…康隆連(やすたかのむらじ)様を、本社宮司(もとつやしろのみやつかさ)に任命されるとも、承っておりまするわなー。』
登使主(のぼるのおみ)は、そう言って骸骨のような顔をにやけさせる傍ら…
『さあて…医頭(くすのかみ)殿にだけ、診察(みたて)を任せてはいられないぞ。』
『そうともよ。診察(みたて)が終わったら、大事な大事な床上げ式が待っているからな。』
『我らも、(みたて)を手伝ってやろう。』
それまで、周囲でニヤけながら眺めているだけだった神使(みさき)達が、口々に言いながら、早苗に群がっていた。
『相変わらず、参道の孔が小さいのう。』
神使(みさき)の一人が、尚も孜医頭(つとむのくすのかみ)が熱心に掻き回し続ける、早苗の参道を覗き込みながら言うと…
『よく、こんな小さな孔から、四羽も仔兎が出てこれたものだな。』
『どうりで…毎回、腹を切らなけりゃならんわけだ。』
また別の神使(みさき)達数人が口々に言い…
『どれどれ、五羽目はもう少し楽に出せるよう、もっと孔を大きくしてやらねばな。』
『これから、床上げ式で、二十人もの神使(みさき)達の穂柱を受け入れねばならんしな。』
二人の神使(みさき)は、そう言うなり、孜医頭(つとむのくすのかみ)の横から分け入るようにして、一緒になって、早苗の参道を掻き回し始めた。
『アァァーーーーーッ!!!!』
それまで、泣き叫びながらも、顎と背中を反らせて必死に耐えていた早苗は、遂に堪えきれず、苦痛から逃れようと暴れ出した。
すると…
『診察(みたて)てやってるんだ!』
『大人しくしろ!』
二人の神使(みさき)が、早苗の両腕を押さえてつけ…
『小さな胸して、よく乳が張ってるじゃないか。』
『飲み手を失って、さぞや辛かろう。』
『今、絞り出して楽にしてやるからな。』
別の神使(みさき)達が言いながら、乱暴に早苗の小さな胸の膨らみを鷲掴んで握り潰し…
『おお、よく出るよく出る。まるで噴水のようではないか。』
『どうだ?張りに張っていたお乳を絞り出されて、気持ち良いだろう。』
『こうすると、もっとよく絞れるぞ。』
一人の神使(みさき)が言うなり、鷲掴みにしていた胸の膨らみを、抓り捻りあげた。
『キャーーーーーーーッ!!!!』
耳を劈くような早苗の絶叫が、辺り一面に響き渡る。
その間…
『やめろ!やめろっ!テメェ!ぶち殺すぞ!』
貴之は、抑えつける私と、神使(みさき)達を交互に激しい憎悪の眼差しで睨みつけながら、咆哮するように喚き、踠き続けた。
『さあて、これだけ身体(からだ)も解れれば、床上げ式に出しても大丈夫だろう。』
やがて、孜医頭(つとむのくすのかみ)がそう言い、神使(みさき)達が漸く早苗の身体(からだ)を弄るのをやめると、早苗の悲鳴も止んだ。
ただ、未だ目を怒らせている貴之の殺気だけは、おさまるところを知らず…
『殺す!テメェら、全員、ブチ殺す!』
組み伏せる私の膝下で、喚き続けていた。
そこへ…
『さっきは、良くもやってくれたな。』
登使主(のぼるのおみ)は、骸骨のような顔一面に薄ら笑いを浮かべながら、貴之の前にやってくると、失禁で濡らした股間を突き出し…
『おまえのせいで、崇儀会(あがめののりのえ)用の正装袴が台無しだわなー。』
言うなり、神使(みさき)達に顎をしゃくり上げた。
すると、神使(みさき)達は、息も絶え絶えの早苗を引きずってきて、登使主(のぼるのおみ)の前に乱暴に押し倒し、四つ足にさせた。
『さあてと…』
登使主(のぼるのおみ)は、早苗の前髪を鷲掴んで顔を上げさせると、益々、骸骨のような顔一面に満足そうな笑みを浮かべ…
『あの乱暴者のおかげで、ほれ、この有様よ。』
貴之に突き出していた、失禁に濡れた股間を、今度は早苗の鼻先に突き出した。
『此奴、どうしてやるかの。掟に従えば、手足を切り落としてやる事になるわなー。まずは、糸鋸で指を一本ずつ、次には、竹鋸で関節ごとに、ゆっくり切り落としてゆきながらの。』
登使主(のぼるのおみ)が、早苗の頬を軽く叩きながら言うと…
『お許しください!お願いします!私、何でもします!お許し下さい!お許し下さい!タカ兄ちゃんをお許し下さい!』
『そうか、そうか、何でもすると言うのか。』
『はい!だから、タカ兄ちゃんを…タカ兄ちゃんを…』
蒼白になった早苗は、何度も何度も頭を下げ、涙目を向けて言った。
『それじゃあな…』
登使主(のぼるのおみ)は、骸骨のような顔をくしゃくしゃにして笑いながら、失禁に濡れた袴と褌を脱ぎ…
『此奴に汚されたところを、綺麗にしてもらおうかの。』
尿に塗れた穂柱を、早苗の顔に突き付けた。
『やめろ!やめろ!俺の腕でも、足でも、切れ!さっさと切り落としやがれ!』
貴之は、再び私の膝の下で踠き暴れながら、喚き散らした。
すると…
『タカ兄ちゃん、大丈夫よ。大丈夫だから、もう、お利口さんにして。』
早苗は、あの何とも幼く懐っこい笑みを貴之に傾けると…
『チビ…よせ、やめるんだ…』
『大丈夫。タカ兄ちゃんの事、お母さん、守ってあげる。』
そう言うなり、今度は登使主(のぼるのおみ)の顔を見上げ、突き出された尿塗れの穂柱に手を伸ばし…
『タカ兄ちゃんの事、許してくださいますか?私が、良い子にしたら、タカ兄ちゃんの手や足を、切らないで下さいますか?』
『ああ、許してやろうともよ。仔兎を四羽も産んで、社領(やしろのかなめ)に貢献したおまえの頼みとあらばな。此奴が汚したところを、おまえの舌と口で綺麗にし、今日から五羽目を生むよう励むと言うのなら、今度ばかりは、許してやるぞ。』
『ありがとうございます。私、一生懸命、頑張ります。』
貴之に見せたのと同じ、懐こい笑みを満面に浮かべて見せると、尿に塗れた穂柱に口を寄せ、丹念に舐め始めた。
そして、再び始まる、欲情する男達に身を委ねる日々…
そんな最中…
早苗はもう、子供の作れぬ身体(からだ)だと診断がくだされた。
いや…
名無しが、友人である医弁(くすのじょう)の義隆に強引に下して貰った。
当初、その診断は、神使(みさき)衆に退けられた。
早苗の身体(からだ)は、穂供(そなえ)にも、子供を作る事にも十分に耐えられると言う、孜医頭(つとむのいのかみ)の診察(みたて)が採用された。
そこで、名無しは中務卿(なかつかさのかみ)の河金丸信使主鱶見地金和邇雨割信(かわかねのまるのぶのおみふかみのただかねわにさめのかつのぶ)を動かした。
兼ねてより、名無しは河金丸信使主(かわかねのまるのぶのおみ)に、長年空位であった、大使主(おおおみ)の座を約束していた。
その彼に、盟友でありながら、内心憎悪している河曽根康弘連(かわそねのやすひろのむらじ)が、早苗の件で私の追い落としを図り、次の本社宮司(もとつやしろのみやつかさ)の座に、孫である康隆連(やすたかのむらじ)を就けようとしている事を仄めかした。
すると、義隆医弁(よしたかのくすのじょう)の診断(みたて)をあっさり支持し、孜医頭(つとむのくすのかみ)の診断(みたて)を退けるよう、河下登使主(かわしたののぼるのおみ)に圧力をかけた。
結果、孜医頭(つとむのくすのかみ)は、医頭(くすのかみ)の座を追われ、変わって、義隆医弁(よしたかのくすのじょう)が医頭(くすのかみ)となった。
名無しは、改めて、早苗に拾里に来るよう勧めた。
『子供が産めないと言っても、気に病む必要はないんだよ。ここで養生してるうちに、また、産めるようになるかも知れない。
ゆっくり養生しながら、身体(からだ)を治して行けば良い。その間に、美味しいものをいっぱい食べて、もっともっと、身体(からだ)を大きくするんだ。赤子ができても、大丈夫な身体(からだ)にするんだよ。
そのうち、二十歳を過ぎる。二十歳を過ぎたら、兎神子(うさぎ)は役目を解かれる。
その頃には…
どんなに成長が遅くて幼い身体(からだ)をしていても、大人の身体(からだ)になれる。もう、あんなに苦しまなくても、楽に赤子を埋めるようになる。
そうしたら、好きな人と結婚して、子供産んで、自分で育てる事が出来るんだよ。』
早苗の親友だった亜美は、いち早くこの話に飛びついた。
『そうしよう!ねえ、そうしようよ!
身体(からだ)、治らなくても良いよ。もう、たくさん産んだんだもん。もう、産めなくても良いじゃない。
大丈夫…しばらくは、みんなに会えないけど…そのうち、私も二十歳を過ぎたら、ここに来てあげる。サナちゃんの事、私が一生面倒見てあげる。』
『でも…』
『そこにはね、たーくさんの田んぼや畑があって、お米の他に、いろんな野菜を育ててるんだって。
人参、白菜、ほうれん草…
青ネギ、白ネギ、玉ねぎも育ててるんだってさ。
サナちゃん、ネギの花が大好きだよね。赤ちゃんのお顔みたいだって、指先で撫でてたじゃない。
私ね、昔から、大きな畑持つのが夢だったの。
小さなお家を建てて、サナちゃんと一緒に暮らして、毎日、畑を耕して暮らすの。
畑には、野菜の他に、沢山の薬草を植えて…
サナちゃんに美味しいものをいっぱい食べさせて、身体(からだ)に効く薬を調合して暮らすの。』
亜美が、まるで赤子を抱くように早苗を抱き、痩せ細った背中を撫でながら言うと…
『バカ言ってんじゃねえぞ、この鬼娘!』
いきなり割って入り、亜美を押し除ける貴之も、この話に飛びついた。
『チビを、アッちゃんに横取りさせるかっての!チビは、俺と暮らすんだよ!俺の嫁さんにして、俺と毎日良い事をして暮らすんだよ!』
『まあ!何言ってんの!あんたが、サナちゃんをこんな身体(からだ)にしたくせに!まだ、そんな事言って!この悪魔!ケダモノ!人でなし!サナちゃんは私と暮らすの!あんた何かに絶対渡さないだから!』
『うわっ!よせっ!痛え!何しやがる!この鬼娘!』
忽ち、真っ赤な顔した亜美に、フルスイングの薪木で頭を殴り付けられ、悲鳴を上げる貴之は…
『なあ、チビ。そこで、美味いもんたらふく食わせて貰ってよ、早くデカくなろうな。デカくなったら、俺が嫁さんに貰ってやるからよ、一緒に、おめえの大好きな赤ん坊、いっぱいこしらえような。』
早苗の顔を見るなり、あの獣じみた容貌からは想像つかぬような、懐こい笑みを満面に浮かべて言った。
『タカ兄ちゃん…』
早苗は、忽ち涙ぐんだ。
『良いの?私で良いの?私、もうボロボロだよ。』
『何、言ってやがんだよ!おめえ、もう、俺の子を一人生んだじゃねえか。その子を待つんだろう?
子供は、二親で育てんるんだよ。育てられねえで、待ってるんなら、二親で待ってやろう。
俺は、アッちゃんと違って、もっと早くここを出られる。でたら、真っ先におめえを迎えに行く。そうしたら、二人であの子を待とう。あの子に二人でオモチャやろうよ。』
貴之が言うと、早苗は、貴之の胸に抱かれてシクシク泣き出した。
しかし…
その矢先に、愛が皮剥を受け、赤兎に兎幣された。
『サナちゃん!見ないで!見ては駄目!』
皮剥の祭祀(まつり)が始まり、愛が大勢の男達が集まる前で着物を剥ぎ取られ始めると、亜美はすかさず早苗を抱きしめ、目と耳を覆った。
しかし、いよいよ全裸に剥かれた愛が、男達に次々と穂柱で参道を貫き抉られ始めると…
『アッ!アッ!アァーッ!痛い!痛い!痛い!キャーーーーーーーッ!』
愛は凄まじい絶叫をあげ、どんなに強く耳を塞がれても、早苗の耳に響いてきた。
早苗は、永遠にも感じられる長い時間、亜美の胸元がびしょ濡れになる程、泣き続けた。
『私、行かない。ここに残る。』
血まみれの股間を抑え、泣き噦る愛の肩を抱くと、早苗も一緒に泣きながら言った。
『サナちゃん…何、バカな事を言ってるの?もう、サナちゃんのお部屋も用意できてるのよ!』
亜美が血相変えて言うと、早苗は更に首を横に振った。
『私、行かない。愛ちゃんの側にいる。』
『サナちゃん、愛ちゃんの事は心配しなくて良い。私達が、ちゃんと…』
名無しも、喉がひりつき、枯れた声を必死に絞り出しながら、早苗の肩に手を置いた。
すると…
『それじゃあ、今すぐ、愛ちゃんに着物を着せてあげて下さい!裸で暮らすなんてさせないでください!』
早苗は、愛の肩を一層強く抱きしめながら、また、シクシク泣き出した。
『お願いします…愛ちゃんに着物を着せてあげて下さい!お願いします…お願いします…』
早苗は、毎日のように、朝な夕なに弄ばれる愛を抱きしめては、必死に哀願し続けた。
愛に着物を着せない限り、自分は何処にも行かないと言い張って、名無し達を困らせ続けた。
そして、ある日。
突然、愛が姿を眩ませた。
社(やしろ)は大騒ぎになった。
それでなくても、赤兎の定めで、度々、何処ぞの領民(かなめのたみ)に引っ張って行かれては、滅茶滅茶にされた姿で帰ってきていた。
今回も、何処で何されてるのかと気が気でなく、名無しも兎祇(うさぎ)達も、社領(やしろのかなめ)中駆け回って、愛を探し回った。
それが、何て事はない。
もう一度、社内(やしろのうち)を探してみれば、早苗の部屋の中から、愛の笑い声が聞こえてきた。
名無しは、ホッと息を吐いて、早苗の部屋に入った。
すると…
『親社(おやしろ)様…』
思わず、目をパチクリさせる愛を、早苗はグッと抱きしめて、哀願するような目を向けてきた。
愛は、着物を着せられていた。
『サナちゃん…これは?』
名無しは、肩で息をしながら、喉に詰まる声を絞り出すように尋ねた。
『親社(おやしろ)様、私が、着せてってお願いしたの…私が、どうしても着たいって、お願いしたから…だから…』
きっと、早苗が叱られる…
そう思って涙ぐみながら、名無しに謝る愛を、早苗は大きく首を振って一層強く胸に抱きしめた。
『親社(おやしろ)様、お願いします。社内(やしろのうち)だけで良いですから…私達以外、誰もいない時だけで良いですから…愛ちゃんに着物着せてあげてください。お願いします…お願いします。』
名無しは何も答えず、固く目を瞑って拳を握りしめた。
『サナちゃん…』
『チビ…』
名無しの後からやってきた兎祇(うさぎ)達も、口を開けたまま唖然と立ち尽くした。
『お願いします!私達といる時だけで良いですから…もう、ずっと着物きせてやって欲しい何て言いませんから…この子に着物を…愛ちゃんに…



美香ちゃんに着物、着せてあげて下さい!お願いします!』
『美香…ちゃん…』
早苗の口から、その名が出た瞬間…
兎神子(うさぎ)達は皆、押し黙り、あたりは森閑となった。
やがて…
智子が、早苗の隣に正座したかと思うと、床に額を擦り付けるように頭を下げた。
続けて…
亜美が…
和幸が…
貴之が…
そこに集まる皆が、黙って智子に続いた。
『わかった…』
名無しは、目を瞑ったまま、漸く口を開いて言った。
『赤兎に着物を着せる事は、神領(かむのかなめ)最大の禁忌だ。露見すれば、みんな、ただでは済まなくなる。私達以外、誰もいない時だけだ…
その代わり、サナちゃんも私の言う事を聞いてくれるね。』
『はい!』
皆が抱き合って喜ぶ中、早苗は目に涙を溜めたまま、満面の笑みで、拾里に来る事を承知した。
ところが、皮肉にも、その直後に、早苗は最後の子を妊娠してる事が発覚したのである。
「綺麗ねー。」
小屋をでて、田畑の間に点在する他の小屋に、雪が積もってるのを見て、菜穂は、また嘆息した。
「見せてあげたかったなー、サナ姉ちゃんに…
ねえ、カズ兄ちゃん。」
「そうだね…」
あどけない笑顔を向ける菜穂に、穏やかな笑みを返す和幸は、しかし別の光景を思い浮かべていた。
折しも、そこに、身体(からだ)の弱い妻を労りながら、冬畑の手入を続ける農夫の姿があった。
「見なよ、タカの奴、ちゃんとサナちゃんの面倒見てるだろ…」
ふと、和幸は、農夫の姿を見つめながら、誰にともなく呟いた。
「あいつ、ああ見えて、面倒見が良いんだ。アッちゃんにも、早く見せてやりたいな…」
しかし、振り向くそこに誰の姿もなく…
「こんにちわー。可愛いお嬢さんだねー、何処からきたの?」
「こんにちわー。鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)から来ましたー。」
雪掻きをする中年女性に声をかけられた菜穂が、手を振り答え、側に駆け寄り手伝い始めたていた。
恥ずかしがり屋で大人しい子だが、いざ、誰かに話しかけられれば、実に人懐こい子なのである。
忽ち、周囲のおじさんやおばさん、お兄さんやお姉さん達とも打ち解けて、みんなの話を聞いていた。
「サナちゃんも、ここに連れてきてあげたかった…トモちゃんも、そう言ってました。」
和幸は、皆と楽しそうに雪かきをする菜穂を、笑顔で見つめつつ、次第に目を憂いに滲ませて言った。
『サナちゃんも、ここに連れてきてあげたかったな…』
もう、殆ど起き上がる事も出来ず、はっきり目を覚ましているのも稀になった頃。
度々、智子は譫言のように同じ言葉を繰り返していた。
『愛ちゃん…着物、着せて貰ったのね…良かったねー…可愛いよ…可愛いよ…』
『美香ちゃん…私とカズちゃんとお揃い法被だね…三人で、お祭りに行こうね…』
智子は、夢と現実の見分けがつかなくなり、目を半開きにしてる時でも、寝言とも魘されてるともつかない言葉を繰り返していた。
『ここは、良いところね…本当に良いところ…サナちゃんも連れてきてあげたかったな…サナちゃんにも、ご飯食べさせてあげたかった…オシメ、取り替えてあげたかった…』
『何言ってるんだ。サナちゃんなら、岩戸屋敷で寝てるじゃないか。』
和幸が、智子の手を取って言うと…
『そうか…あの子、寝てるんだったね…』
『そうだよ。毎日、タカの奴に甘えながらな。』
『タカちゃん、少しはオムツの付け方、上手になれた?』
『まさか。不器用なアイツが、一生かけても上手くなれないさ。
毎日、慣れない手つきで、サナちゃんのオシメ替えちゃあ、ちゃんと当てられなくて、布団をずぶ濡れにさせてるよ。』
『まあ…それじゃあ、早く行って、オシメの当て方、教えてあげないと…また、アッちゃんに叱られる…』
『その心配ならいらないよ。サナちゃん、何をやっても不器用なタカを心配して、早く元気になろうって、頑張ってね…
今じゃあ、起きて、一人で歩けるくらいになったよ。』
『良かった…もう、安心ね。』
『どうだかな…タカの奴、サナちゃんが少し元気になるや、サナちゃんの布団に潜り込み出したよ。』
『それじゃあ…』
『毎晩、二人でよろしく…だよ。そのうち、また、アッちゃんにぶん殴られるさ。』
『まあ、大変…』
智子は、現実と見分けの付かなくなった夢の中で、クスクスと笑い出した。
そして…
『私達も…しよ…タカちゃんとサナちゃんのように…』
智子が空な眼差しを向けて、ニッコリ笑って言うと…
『そうだね、しようっか。』
和幸も、ニッコリ笑って答えると、智子の寝巻きを脱がせ、自分も裸になると、優しく抱き上げ、唇を重ねた。
『アァ…アァ…アァ…』
和幸が首筋から肩、胸にかけて唇と舌先をゆっくり這わせながら、股間の神門(みと)を撫で出すと、智子は、うっとりと喘ぎだす。
その喘ぎは、まるで幼児のような胸に近づくにつれて、少しずつ大きく軽やかになり…
やがて、和幸に小さな乳首を吸われ出すと…
『アン…アン…アン…アーンッ…』
赤子の甘えるような声に変わっていった。
和幸は、智子の股間を弄りながら、少しずつ神門(みと)が湿り出すのを感じる。
『カズちゃん…来て…早く…早く…私の中に…』
『うん、今行くよ。』
和幸は、智子が求めて力なく挙げる手を取ると、ゆっくりと智子の拡げた脚の間に腰を沈め、穂柱を神門(みと)に触れさせる。
無論、御祭神を悪性腫瘍に侵され尽くし、ボロボロになっている智子と、最後まで交わる事などできはしない。
まだ、意識がはっきりしていた頃は、その度に、智子は泣きじゃくっていた。
幼くして御祭神が破壊され、和幸の為に子供を産んでやれないばかりか、女として受け入れる事もできない。
女の子に産まれてきた意味がないと、泣き続けていた。
しかし…
意識が混濁してくると…
『アッ…アッ…アッ…アッ…』
和幸が、ただ、神門(みと)の縦線に穂柱を擦り付けてるだけなのを、重なりあっているものと思い込み、心地良さそうな声をあげ…
『アーーーーーンッ…』
下腹部の上に白穂が放たれると、二人の絶頂を迎えたのだと、充足し切った笑みを満面に浮かべながら、和幸の胸に顔を埋めた。
そして…
『ああ…カズちゃんの白穂…カズちゃんの温もり…』
智子は、下腹部を濡らす和幸の白穂を手で拭い挙げると、いつまでも愛しげに眺め続けた。
『私の御祭神の中で、赤ちゃんにしてあげたい…赤ちゃんにして、もう一度、お外に出してあげたい。』
『良いんだよ。例え、赤子になれなくても、もう一度、外に出られなくても…
トモちゃんの中に居られれば、幸せなんだよ。』
『幸せ?』
『そう、僕は幸せだ。赤子ができなくても、何もできなくても良い。トモちゃんが此処にいてくれたら…トモちゃんの温もりを感じられれば、僕は幸せだよ。』
『カズちゃん…』
『トモちゃんは…どお?トモちゃんは、僕と一緒にいるだけじゃ、幸せになれない?』
『私は…私には、資格がない…幸せになんて、なる資格が…』
「資格なんて、関係ないさ。」
和幸は、今はもう、そこにはない手を、もう一度握りしめる仕草をしながら言った。
「僕は、トモちゃんを幸せにしたい…トモちゃんに、幸せになって欲しい。
ダメ?僕と一緒にいるだけでは、幸せになれない?僕では、トモちゃんを幸せにできないの?」
「トモちゃんは、幸せだったよ。」
名無しは、何も答えぬ智子の面影に、尚も問いかけ続ける和幸の肩に手を乗せて言った。
「親社(おやしろ)様…」
「トモちゃんは、幸せだったんだよ。」
名無しがもう一度言うと、和幸は少し救われたような笑みを浮かべて頷いた。
ふと見ると、岩屋谷の人々と雪かき続けながら、何を言われたのか、菜穂は頬を赤くしてクスクス笑っていた。
「今度は、あの子の番だ。」
名無しが言うと、和幸はもう一度、大きく息を吐いて頷いた。

哭祠

兎祇物語

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紅兎
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惜別編

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(3)哭祠
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慰坂(なぐさみさか)の頂きには、括祠(くくりぼこら)と呼ばれる小屋がある。
由来は、山中に捨てられる者と捨てる家族が、ここで最後の一夜を共にした時、今生の別れを祠の神に告げ、覚悟を決めた事に由来する。
しかし…
実際のところはそうではない。神領(かむのかなめ)の掟により、家族を捨てなければならなかった者が、捨てられる者と抱き合い、枯れ果てる程に涙を流した祠である。
中には、どうしても家族を捨てる事のできない者もいる。
すると、領境(かなめのさかい)を監視する忍…童(わらべ)衆が姿を現し、その未練を断つべく、家族の見ている目の前で、捨られるべき者を殺戮したのも、この祠であった。
故に、巷では哭祠(なきぼこら)と呼ばれている。
菜穂が囲炉裏に火をつけると、和幸は行李からダシ用の煮干しと米と味噌を取り出し、鍋でグツグツ煮込み、道すがら採集した野草や木の実、キノコを切り始める。すると、傍で菜穂が椀や小皿を出し、腰に吊るした袋から、大根や蕪の漬物を取り出して、切り分けた。
和幸は、具材を順に鍋に入れながら、時折、木匙にとって、味見する。
すると…
「アーン。」
菜穂が、和幸の方を向き、甘えるような声を出して大口をあけた。
和幸は笑みを浮かべて、その口に、もう一匙とって入れてやる。
「美味しい。」
肩を窄めて笑いながら言うと、今度は菜穂が木匙にとって、和幸の口に入れてやる。
二人は、しばし、それを繰り返した。
「二人とも、仲が良いのは構わんが、私の分はちゃんと残してくれるのかな?」
名無しが、軽く咳払いして言うと…
「ごめんなさーい。」
菜穂は、肩を窄めて、クスクス笑いながら、漸く椀に装って名無しに差し出した。
和幸は、愛しそうに菜穂を見つめながら、小皿に小分けされた漬物を配りだす。
二人が、こうして食事の支度をする姿を見るのは、何年ぶりになるのだろうか…
名無しは、和幸と菜穂のやり取りを見つめながら、ふと思う。
此処に料理頭の由香里がいて、喋ってばかりの朱理、つまみ食いばかりの雪絵と竜也、料理とは何の関係のないお菓子ばかり作る政樹と茜…
みんなも居てくれたら、もっと明るい食卓になりそうなものを…
和幸と菜穂が、御膳を前に言葉を交わす事はあまり無い。
菜穂は、ただ、そうするのが嬉しくてたまらないと言うように、甲斐甲斐しく、私と和幸の給仕をし、和幸は、そうする菜穂の姿を、愛しそうに見つめている。
あと、五年か…
名無しは、また思う。
五年待てば、菜穂は兎祇(うさぎ)を解かれ、晴れて和幸と夫婦になれる。
その間、まだまだ辛い事が続くだろう。
どれだけの男が菜穂の上を通り抜け、自分で育てる事の出来ぬ子を、何人産む事になるのだろうか。
それでも、晴れて自由の身になれば、和幸と本当の夫婦になれる。
しかし…
どんなに時が経ち、耐え忍んでも、決してその日の訪れぬ者もいる。
夜が更け…
和幸と菜穂が、仲良く肩を並べて寝入った後も、名無しはなかなか寝付けなかった。
『愛ちゃん…』
目を瞑れば、胸を割かれるような光景ばかりが、瞼の裏に蘇る。
朝な夕な、領内(かなめのうち)の好き者達に弄ばれる愛の姿…
その時、愛が漏らす呻き声…
本来、兎祇園(うさぎ)と子兎祇(こうさぎ)に差し出される兎神家(うさみのいえ)の子供達は、学舎(まなびのいえ)に通わない事になっている。
しかし、赤兎は通わさせられた。
学ぶ為ではない。
子供達に、穂供(そなえ)の学品(まなびのしな)にされる為である。
学舎(まなびのいえ)に着くなり、教卓の上に寝かされ、教導師(みちのし)の指導の元、代わる代わる学徒(まなびのともがら)達に身体(からだ)を弄り回される事から、穂供(そなえ)の学(まなび)は始まる。
(からだ)を弄り回され、学(まなび)が終われば、教導師(みちのし)と学徒(まなびのともがら)達の求めるままに、身体(からだ)を開かねばならず、少しでも拒めば、どんな仕置きをするのも、教導師(みちのし)に任されていた。
学舎(まなびのいえ)が終われば、帰りの道すがら、領内(かなめのうち)の男達が、行く先々で待ち構えている。
赤兎は、必ず学(まなび)の前までに学舎(まなびのいえ)に辿りつかねばならぬ事になっており、行途(ゆくみち)を妨げる事は、誰も許されていない。
しかし、帰途(かえりみち)には、赤兎に誰が何をしても構わない事になっていた。
仕事帰りの男達は、赤兎の帰途姿(かえりみちすがた)を見かけては、一杯呑むような感覚で殺到し、よってたかって弄んだ。
全裸で学舎(まなびのいえ)に通わされては、何処で誰に何をされてきたのだろう…
『愛ちゃん!』
夕闇近く、身体(からだ)をふらつかせ、息も絶え絶えに帰ってくる愛は、見るも無残な姿になっていた。
『親社(おやしろ)様…』
駆け寄る名無しの胸に、愛の小さな身体(からだ)がくずおれる。
『寒かったろう。風呂、沸いているぞ。中に入ろう。』
言いながら、愛を抱きしめる腕の中から、尿臭混じりの強烈な異臭が、鼻をついてくる。
特に…
『駄目…私、入れない…』
名無しを押し除けながら、か細い声で言う愛の口腔内から発する異臭が凄まじい。
一体、何十人の穂柱を咥えさせられたのだろう。
兎祇(うさぎ)が、田打で最初に仕込まれる事の一つに、口に捻り込まれた穂柱を噛まない事と、中に放たれた白穂を飲み込む事がある。
愛もまた、七つの時から、連日、父をはじめとする、家の男達の穂柱を口に捻り込まれ、徹底的に仕込まれていた。
その時、少しでも歯をたて、放たれた白穂を吐き出せば、酷い仕置きを受けたものである。
今では、どんなに穂柱を捻り込まれ、放たれても、一滴余さず白穂を飲み干せるようになっていた。
にも、関わらず、小さな口に収まり切らず、溢れ出た白穂が、口元にこびりついている。
『何を言ってるんだ。みんな、愛ちゃんを洗って、手当てしようと待っているぞ。』
『駄目よ…駄目…赤兎は、御贄倉の土間から上に上がってはいけないって…お父さんに…
それに…』
『それに?』
『私…穢い…穢い…穢れてる…』
愛は、同じ言葉を繰り返しながら、失せた力を振り絞って、尚も私を押しのけようとする。
『穢いものか!穢れてなんかいるものか!』
名無しは、思わず声を上げると…
『愛ちゃんは、良い子だ、可愛い子だ。』
一層、強く抱きしめ、飲み込み切れぬ白穂に塗れた唇に、私の唇を重ねた。
『親社(おやしろ)様…』
愛は、私を押し除けようとする力も遂に尽き果てると、名無しを見つめ返す目から、ハラハラと涙を溢れさせた。
『愛ちゃん、寝ようっか。』
『うん。』
夜更け…
赤兎は、眠る時、どんなに寒くても、掛け物を掛ける事は許されない。蹲って寝る事すら許されない。
身体(からだ)を隠す行為は、どんな些細な事であっても許されないのだ。
ならば…
名無しは、愛を部屋に入れると、何も着せてやれない、掛けてやれない代わりに、自分も着物を脱ぎ、全裸になって愛を抱き締め眠りにつく。
『愛ちゃん、暖かい?』
名無しが、肌で温めてやりながら、愛の頭を撫でると…
『うん、あったかーい。』
愛は、クスクス笑いながら、私の胸に顔を埋め、眠りについた。
それは、数多の男達に弄ばれる地獄のような一日の中で、束の間、愛が安らかな顔を見せる時。
普通の九歳の女の子と同じ、幼く無邪気な寝顔を見せる時。
名無しもまた、そんな愛の寝顔に、少しだけ安らかなものを感じながら、浅い眠りについた。
最も…
そんな、浅い眠りも長くは続かない。
『ウゥゥゥゥーッ…ウゥゥゥゥーッ…ウゥゥゥゥーッ…』
腕の中から漏れ聞こえる、絞り出すような声に目覚まされる。
『愛ちゃん、痛むのか?』
『ううん…平気…大丈夫…』
苦悶に歪んだ顔に、必死に笑みを浮かべて首を振る愛は、しかし…
『ウゥゥゥゥーッ…』
また、硬く眼を瞑り、全身を小さく強張らせて呻きだす。
一日中、小さな身体(からだ)で、数え切れぬ程の男達に、絶え間なく貫かれ、傷だらけの参道に激痛が走り続けているのだろう。
それでも、決して身体(からだ)を隠してはならぬと、実の父親に仕込まれてきた愛は、股間を抑えようとしないのが痛々しい。
『愛ちゃん、脚を拡げて。アッちゃんの軟膏を塗ってやろう。』
『うん。』
名無しは、手にした軟膏を塗るべく、愛の真っ赤に腫れ上がった神門(みと)を拡げ見て、また、胸が激しく疼きだす。
参道の肉壁は、一面、剥離だらけであり、付け根はぱっくり裂けてしまっている。
どんなに軟膏を塗ってやっても、一時的に痛みは引いても、完全に治る事はない。
程なく、軟膏の効き目が切れると、また、愛は呻きを漏らし始めた。
そして、その呻きは、日を追うごとに大きくなる。
傷が癒えないうちに、また、来る日も来る日も、大勢の男達に貫かれる参道の傷は、大きくなる一方であったからだ。
『愛ちゃん!此処で何をしてるんだ!』
ある夜。
いつものように、私の腕の中で眠っていた筈の愛が消え、境内を探し回ると、御贄倉の土間で、参道の激痛に呻き悶えていた。
『私…今夜から、此処で寝る…』
『何を馬鹿な…さあ、私の部屋に戻ろう。』
名無しが側に寄り、抱いて連れ出そうとすると…
『ううん…此処で寝る…だって…私が一緒だと…親社(おやしろ)様、眠れないもの…』
愛は、私を押し除けながら、更に大きく首を振った。
『そうか、わかった。よく、わかったよ。』
名無しは、愛の決意の硬さに大きく頷くと、その場で寝巻きを脱ぎ捨て、全裸になって愛を抱き締めた。
『ならば、私も此処で寝よう。愛ちゃんと一緒に、此処で寝よう。』
『駄目よ!親社(おやしろ)様、そんなの駄目よ!』
『何故?』
『だって、此処は寒いもの…とても、寒いもの…』
『寒く何かないさ。』
名無しは、激しく首を振り続ける愛を、一層、強く抱き締めながら言った。
『愛ちゃんが側にいるなら、何処で寝たって寒くない。でも、愛ちゃんがいてくれないなら、何処で寝ても、凍え死ぬ程寒い…』
『親社(おやしろ)様…』
『愛ちゃんは、優しくて良い子だ。私を、凍え死になんか、させないね。』
愛は、答える代わりに、ハラハラと涙を溢れさせ、力なく頷いて見せた。
日を追うごとに深くなる愛の参道の傷に、軟膏は殆ど効果がなくなった。
『ごめんなさい…また、起こしてしまって…』
『良いんだよ。それより、軟膏を塗ってやろう。脚を拡げて…』
参道の激痛に呻く度に起きてしまう名無しに、申し訳なさそうに涙ぐむ愛の頬を撫でて言うと、愛は力なく頷いて、脚を拡げて見せた。
名無しは、真っ赤に腫れ上がった神門(みと)を指先で開くや、思わず眼を背けた。
参道の肉壁の剥離も、付け根の裂傷も、手の施しようがないものになっていた。
最早、どんなに軟膏を塗っても、焼け石に水にすらならないように思われた。
名無しは、愛の参道の傷をジッと見つめながら、幼い頃の事を思い出す。
やはり、百合と言う赤兎が、参道に深い傷を負い、どんなに軟膏を塗ってやっても、激痛が治らなかった時、母から教わりしてやった事を…
『親社(おやしろ)様、駄目よ!駄目!そこ、汚い…』
愛の股間に顔を埋め、神門(みと)に舌先を伸ばす私を見て、慌てて腰を引く愛に…
『汚く何かない。愛ちゃんの身体(からだ)で、汚いところなんて、一つもないさ。』
私は、ニッコリ笑って答えると、指先で拡げた愛の神門(みと)のワレメの一本線に沿って、舌先をゆっくりと這わしていった。
『アンッ…アンッ…アーンッ…』
愛は、忽ち全身の力を抜き、甘えるような声を上げ出した。
名無しは、舌先を愛の神門(みと)の内側に這わせ続けながら、先端の突起…神核(みかく)を、包皮越しに指先でそっと撫で回してやる。
『アーン…アン…アン…アーン…』
愛は、甘えるような声をあげ続けながら、次第に大きく腰を上下させ始めた。
『アン…アン…アン…アン…』
私は、愛の声に合わせるように、神門(みと)のワレメに這わせる舌先を、参道に潜り込ませ、丹念に傷だらけの奥底を舐め回してやる。
やがて、ここぞと言う時を見計らい、愛の神核包皮をめくり揚げ、直に舌先で舐め回すと…
『アーンッ!』
愛は、一際、大きな声をあげ、腰を浮かせたまま静止させ…
気づけば、全身の力を抜いて眼を瞑る愛は、すやすやと心地よい寝息を立てていた。
その日から、私は毎晩、傷だらけの愛の参道を舐め回した。
『愛ちゃん、気持ち良い?』
『うん。とっても、気持ち良い。』
『もっとして欲しい?』
『うん。』
最初のうちこそ、汚いと言って尻込みしていた愛も、日を重ねるうちに、自分からねだるように脚を拡げてくるようになった。
『アン…アン…アーンッ…』
小さな腰を上下させながら、気持ち良さそうにあげる、甘えるような愛の声…
何処か、赤子の声にも似た愛の声を聞く時だけが、私にとっても心安らぐ一時となっていた。
しかし…
朝を迎えれば、漸く、こうして痛みを鎮めてやった小さな参道は、再び多くの男達に抉られ、今日よりも更に深い傷を負わされる。
『愛ちゃん、ごめんね…』
『親社(おやしろ)様…』
『本当に、ごめんね…』
ある夜。
私は、参道を舐め回される心地よさに微睡みかける愛を、思わず抱きしめて言うと…
『親社(おやしろ)様って、お父さんと同じね。』
『愛ちゃんのお父さんと同じ?』
『うん。』
愛は、満面の笑みを浮かべて私の顔の頬を撫でながら言った。
『私のお父さんもね、私に田打をした後、参道を舐めてくれたの。その時ね、舐めながら、何度も何度も、ごめんねって、言ってた…』
『そうだったんだ。』
『私、お父さんに舐めて貰うの好き。気持ち良いだけでなくて、凄く暖かかったから。最後、お父さんに舐めて貰うのが楽しみで、田打がどんなに痛くて恥ずかしくても頑張れた。
でもね…』
『でも?』
『ごめんねって、言われるの辛かった。今にも泣きそうな目をして、何度もごめんねって言うお父さんを見るのが、とっても辛かった。』
『愛ちゃん…』
『親社(おやしろ)様、明日もお願いね。』
愛は、それだけ言うと、クスクスと笑い、私の胸に顔を埋めて眠りについた。
皮剥の祭祀(まつり)を受け、赤兎に兎幣されて一年が過ぎた頃。
愛は、名無しの腕の中で、腹の中の御祭神を目覚めさせた。
『おめでとう。愛ちゃん、赤子を産めるようになったんだよ。』
名無しが、最初の月のモノの手当をしながら言うと…
『誰の赤ちゃん…産むのかな…』
その日も、数多の男達に参道を貫かれた愛は、悲しげな眼差しを向けて、名無しに尋ねた。
『勿論、愛ちゃんが本当に好きだと思う男の赤子…愛ちゃんを本当に好きだと思ってくれる男の赤子だよ。その為に、アッちゃんは、毎日、君の手当をしているじゃないか。』
『そっか。それじゃあ、私…』
『誰か、その人の赤子を産みたい男がいるのか?』
『うん。』
愛は、仄かに頬を染めて、小さく頷いた。
『そうか。それじゃあ、その男の名を当ててやろうか?』
名無しが愛の頬を撫でてやりながら言うと…
『うん。』
愛は、更に頬を赤く染めつつ、嬉しそうな笑みを浮かべて小さく頷いた。
しかし…
『太郎君…だろう?』
名無しがその名を口にした刹那…
愛は、急に表情を暗くして俯き、黙り込んでしまった。
『違うのか?他にいるのか?』
名無しが慌てて尋ねると…
『ううん。』
悲しげに首を振り、私の胸に顔を埋める愛は、シクシクと泣き出していた。
その日を境に、愛はなかなか眠りにつかなくなった。
『どうした?眠れないのか?』
名無しが尋ねると、愛は、答える代わりに、複雑な眼差しを向けてくる。
『まだ、参道が痛むのか?アッちゃんの軟膏、塗ってやろうか?』
『ううん、大丈夫。もう、痛くないから…』
『それじゃあ、早くお休み。』
『うん。』
頷く愛は、やはりなかなか眠りにつかず、一晩中、起きている時もあった。
ある夜。
名無しが着物を脱ぎ、褌を外すと、愛は私の股間をジッと見つめ出した。
『愛ちゃん、どうしたの?』
『太郎君、今日も私を見て、穂柱を勃たせていた…』
『それで、太郎君に穂供(そなえ)させたのか?』
『ううん。私は、させてあげようと思ったのに、太郎君は、『俺、そんな事する気はない!』って、怒った顔して言って、そっぽ向いたの。
でも、その後もずっと、私を見る度に勃たせていた…』
『そうか。太郎君は、本当に愛ちゃんが好きなんだね。』
『本当に…好き?』
『する気がなくても、その子を見て勃たせるのは、その子を本当に好きだと、身体(からだ)が言ってるんだよ。』
名無しが言うと、不意に、愛は私の顔を見上げ…
『親社(おやしろ)様は、私の事、好きじゃないの?嫌いなの?』
『何を馬鹿な。私は…』
『だって、親社(おやしろ)様の穂柱、勃っていないもの…』
そう言いながら、次第に眼を潤ませていった。
『今日から、私と愛ちゃんは、田打部屋に籠る。』
名無しがそう告げたのは、一年と少し前。
和幸と智子が、社(やしろ)を去って間もない頃だった。
『赤兎は、何としても、十二までに子を産まねばならん。子を為さぬ赤兎は、卵を産まぬ雌鳥や、乳を出さぬ雌牛よりも用無しだ。』
名無しは、兎祇(うさぎ)達にそう言い捨てて、愛を田打部屋に連れ込み引き篭もった。
『愛ちゃん…』
『大丈夫、怖がらないで…』
深夜。
躊躇う私の股間に顔を埋めると、愛はニッコリ笑って、剥き出しにされた股間の穂柱に唇を近づけた。
『よせ…もうやめろ…』
顔を背けて言う私の意思とは裏腹に、愛の小さな舌先がチロチロくすぐりだすと、穂柱が反応する。
『穂柱、勃っているね。』
愛は、穂柱から口を離すと、扱く小さな手の中で更に聳り立つモノを見つめながら、クスクス笑い出した。
『する気がなくても、好きな子の身体(からだ)を見て勃つのは、身体(からだ)がその子を本当に好きだって言ってるのよね。』
名無しが無言で小さく頷くと…
『親社(おやしろ)様の身体(からだ)が、やっと私の事を好きだって言ってくれたね。』
愛は、再び小さな口いっぱいに私の穂柱を頬張り、一層丹念に舐め始めた。
『ハァ…ハァ…ハァ…ハァ…』
次第に荒くなる呼吸と、激しく高鳴る鼓動…
『何故だ…何故…太郎君ではなく…私に…』
愛は、譫言のように呟く私の声を聞き流すように、穂柱の先端を撫でるような舐める舌先の動き早めてゆく。
『アッ…アッ…私は…アッ…アッ…君の為に…アッ…アッ…何も…アッ…アッ…しなかった…』
名無しは、穂柱の先から下腹部、下腹部から全身へと広がる温もりの感触に、次第に真っ白く意識を遠のかせてゆく。
『でも…アッ…アッ…太郎君は…アッ…アッ…君を…アッ…アッ…守り続けた…アッ…アッ…必死に…アッ…アッ…守り続けた…だのに…』
不意に、愛の舌先の動きが止まった。
『愛ちゃんも、好きなんだろう、太郎君の事が…
だのに、何故…』
漸く小さな口腔内と舌先の温もりから、穂柱から解放されると、呼吸と鼓動と落ち着かせながら、私は、天井を見上げる目を瞑った。
愛は答える代わりに…
『親社(おやしろ)様、こっちを見て。』
言うなり、私の手を取り、愛の神門(みと)へと導いていった。
『私の身体(からだ)も、親社(おやしろ)様を好きだって言ってるよ。』
確かに…
まだ、萌芽の兆しもない神門(みと)のワレメに触れると、中はシットリと潤んでいた。
『私、親社(おやしろ)様が好き、大好き。初めて会った時から、ずっと…』
『愛ちゃん…』
私が震える声で何か言いかけると…
『親社(おやしろ)様の悪い夢、食べてあげる。私が全部、食べてあげる。』
愛は遮るように、私の頬を撫でて言いながら、唇を重ねてきた。
そして、名無しの下腹部を跨ぐと、ゆっくりと腰を沈め、舌先で膨張させた穂柱を参道の中へと導き挿れて行った。
『愛ちゃん…愛ちゃん…』
まだ、十二にならぬ愛の参道を、連日貫いた時の感触が、今も生々しく股間の穂柱に残っている。
四年前…
何故、和幸と貴之に殺されてしまわなかったのだろう…
何故、今日、和幸は私を殺してくれなかったのだろう…
名無しは、胸元をグッと鷲掴みながら、四年前、貴之に付けられた、手首の釣り糸と針の傷跡を見つめる。
あの時、首と手首を、釣り糸で締められ、釣り針に抉られた時以上に胸が痛む。
眠れない…
どうにも眠れない…
「親社(おやしろ)様。」
いつ、起きたのであろう。
菜穂が、名無しの隣に両膝を抱いて座っていた。
「どうした?どこか具合でも悪いか?」
「ううん…久し振りに、お兄ちゃんの夢を見ちゃって…」
「そうか…兎神子(うさぎ)として兎幣されるまで、君はお兄ちゃんっ子だったからね。」
菜穂は、最近すっかり会いに来なくなってしまった家族達を思い出して、表情を曇らせた。
「今度、久し振りにこちらから会いに行くか?私が連れて行ってあげよう。」
「ううん、良いの。会えば、お互いかえって辛いから…お兄ちゃん、今でもに、親社(おやしろ)様を嫌っているし…」
「そうか…」
名無しは、祠の窓から外を見る。
山林の枝に閉ざされ、夜空さえも見えず、闇がこの祠を包み込んでいた。
ただ、粉雪混じりの風に煽られ、音を立てる梢の音が、物悲しい鳴き声に聞こえる。
子が産めぬ者。
不治の病や怪我を負った者。
障害を持ってしまった者。
そんな理由で用無しとされ、捨てられた者達や、彼等を棄てねばならなかった者達が、今も哭いているのだろう。
何と悲しい声であろう、誰かを恨む事、憎む事、怒る事も出来ず、ただ、哭くしか無い者達の声は…
彼等を救えぬなら、せめて、彼等の恨みや憎しみ、怒りを一身に受けてやれないものだろうか…
「親社(おやしろ)様…」
「何?ナッちゃん。」
「親社(おやしろ)様は、何で、わざわざみんなに嫌われようとなさるの?」
「私が?皆に?」
「そう…サナ姉ちゃんの時も、トモ姉ちゃんの時も、愛ちゃんの時も…いつも、自分が悪ものになろうとされる。」
「別に、嫌われようとも、悪ものになろうとも思ってないさ…
私は、事実ろくでもない男だよ。生まれた時から、死ぬ時までね…」
「トモ姉ちゃんと同じ事を言うのね…トモ姉ちゃんには、散々、お説教じみた事を言ってらしたのに…」
菜穂は、言いながら、ハラハラと涙を零した。
「私、知ってるわ。愛ちゃん、赤ちゃんができなかったら、異国(ことつくに)に売られるところだったんでしょう?」
答える代わりに、名無しは大きな吐息を漏らした。
一年と少し前…
総宮社(ふさつみやしろ)の総宮司(ふさつみやつかさ)である、名無しの父・東堂俊氏鱶腹慎太郎和邇雨義輝(とうどうのとしうじふかはらのしんたろうわにさめのよしてる)が久し振りにやってくるなり言ってきた。
『おまえの赤兎、いつになったら孕む?』
『そのうちに…』
『だから、そのうちのいつだ?』
名無しが無言のまま、何も答えずにいると…
『まあ、良い。十二迄に孕まねば、異国(ことつくに)に売り飛ばす迄だ。』
父・慎太郎は、煙管の煙を吹かせて小刻みに頷いた。
『異国(ことつくに)に…』
『おいおい、何を今更、そんな顔をする。
子を産まぬ兎神子(うさぎ)は、卵を産まぬ雌鶏や乳を出さぬ雌牛より用無しだ。雌鶏や牛なら、肉にすれば食えるが、あの兎神子(うさぎ)らではそうはいかんからな。』
名無しは、思わず腰の胴狸に手をかけそうになるのをグッと堪えて唇を噛んだ。
『それにしても、どうしたと言うのだ?』
父はまた、溜息混じりに煙管の煙を吹かせた。
『注連縄衆(しめなわしゅう)や海童衆(わだつみしゅう)を相手に、あれだけ派手に暴れたおまえが、何だって…赤兎一匹孕ませるのに、こんなに時間がかかる。』
『だから、前々から申してるではありませんか。』
名無しは、声を震わせて言った。
『幼過ぎる子に、穂供(そなえ)を強いる事自体、無理があると…
余りにも早く…十分身体(からだ)ができてないうちから、穂供(そなえ)を強いれば、参道や御祭神を傷つけ、子を産めなくさせる。
それと、男女問わず、子を産む機能は繊細にできてるのです。恐怖、苦痛による心の負担をかけ過ぎると、体はなんでもなくても、子はできにくくなるのです。ですから…』
名無しが全て話し終わらぬうちに、父は煙管で灰吹を叩いた。
『何をばかな…幼いうちから、徹底的にやらせて、孕ませる事で、女は、される事にも孕む事にも強くなれるのだ。』
『で…
慢性的に参道を傷つけられ、御祭神を破壊され、子を産めない女が増え、天領(あめのかなめ)の名家に、里子として売りつける仔兎祇(こうさぎ)どころか、神領(かむのかなめ)の子も生まれなくなり、幽国神領(かくりのくにのかむのかなめ)は自然消滅…
実に、めでたい話です。そうなれば、もう、十一から田打と称して神職家(みしきのいえ)の玩具にされ、十二から捧穂(ささげ)の祭祀(まつり)に駆り出されて穂供(そなえ)を強要される兎神祇(うさぎ)はいなくなる。七つから、皮剥と称して着物を剥ぎ取られ、来る日も来る日も素っ裸で引き摺り回され、領内(かなめのうち)中の男達に弄ばれる赤兎もいなくなる。
一層、そうなれば良いと、私も思いますよ。』
名無しが言うと、父はまた、大きく首を振った。
『おまえも、相当、天領(あめのかなめ)の阿呆らしい学問もどきに毒されてるな。
天領(あめのかなめ)の医学(くすのまなび)で何を言ってるかは知らぬ。
だが、神話の時代から続く、神領(かむのかなめ)の歴史が雄弁に物語ってるではないか。
恐怖と暴力とで、徹底的に従順に育て上げ、早いうちから、とにかくやらせる。そうする事で、赤兎も白兎も、大勢の仔兎神(こうさぎ)を産むようになる。その仔兎祇(こうさぎ)を天領(あめのかなめ)の名家に里子として売りつけ、潜り込ませる事で、我らは常に皇国(すめらぎのくに)を裏で動かし、牛耳ってきたのだ。』
『父上は、何もわかっておられない。』
今度は、私が首を振る番であった。
『正確には…顕中国(うつしのなかつくに)の大国主(おおくにのあるじ)たる国築神(くずきのかみ)に臣従した時を始まりと仮定して四千年に渡る神領史(かむのかなめつふみ)の中。赤兎が本当に子を産んだ事例は、多く見ても全体の一割…
殆どは、十二を待たず使い物にならなくなり、それでは面目立たない社(やしろ)が、社領内(やしろのかなめのうち)に暮らす兎神家(うさみのいえ)の誰かが産んだ子を、赤兎が産んだと称してる。
そもそも、皮剥の儀式は禊の儀式…
いや…
根津国聖領(ねづのくにひじりのかなめ)の理不尽な要求で、生贄同然に差し出さねばならぬ少女(おとめ)を、禊に託け神聖視する事で、少しでも慰撫し保護する為のもの…
今のように行われるようになったのは、南北朝時代
朝廷分離への加担と、紛争の泥沼化に、仔兎祇(こうさぎ)を利用する事に反発した兎神家(うさみのいえ)へと、旧鱶腹宗家(ふるきふかはらのむねついえ)への報復と見せしめの為…
何より、神宮家(みつみやのいえ)の廃絶を目論む聖領(ひじりのかなめ)の…』
私が此処まで言いかけると、父はまたもや遮るように、煙管で灰吹を叩いた。
『とにかく、愛を早く孕ませろ。本当に孕んだ事例が少ないなら、尚の事、おまえの所で孕ませる価値があると言うもの…
手段はどーでも構わんぞ。寝る間も与えず、入れ替わり立ち代り、好き者の男をあてがって、やらせまくっても良い。学舎(まなびのいえ)の学(まなび)を全て穂供(そなえ)にして、教導師(みちのし)と学徒(まなびのともがら)全員にやらせ続けても良い。結論、孕めば良いのだ。』
『ですから、父上…』
『もし、十二までに孕ませる事ができなければ、愛は異国(ことつくに)の戦場(いくさば)に売る。
売られた兎神子(うさぎ)の末路は、知っておるな。使い物にならなくなるまで、飢えた兵士(つわもの)どもの餌食にされ、使い物にならなくなれば、生きながらに腑分けされ、臓腑を抜かれて切り売りされる。』
『わかりましたよ、父上…』
私は、頷きながら、大きく溜息をついた。
『で、あの子が子を宿したら、あとはどうなるのですか?』
『聖領(ひじりのかなめ)の諸社(もろつやしろ)が喜ぶだろう。あちらでは、年々、兎祇(うさぎ)…いや、あちらでは根隅(ねずみ)が仔根隅(こねずみ)を産まなくなり、まともに仔兎祇(こうさぎ)を産める兎祇(うさぎ)に飢えてるからな。
そうなれば…
例の一件以来、何故か憎むどころか欲しがるようになったおまえの評価は、必然的に高まる。それで、第二第三の赤兎を孕ませれば…聖領(ひじりのかなめ)に招かれ、宮司職(みやつかさしき)として社(やしろ)の一つも任されるであろう。ゆくゆくは大宮社(おおみやしろ)の大宮司(おおみやつかさ)となり、上手くすれば聖宮社(ひじりのみやしろ)の…』
『そんな事は聞いておりません、愛はその後どうなるのかと聞いてるのです。』
『なんだ、馬鹿馬鹿しい…
仔兎祇(こうさぎ)を産んだ赤兎は、青兎として、聖領(ひじりのかなめ)いずれかの大宮社(おおみやしろ)に捧げられる。』
『聖領(ひじりのかなめ)の大宮社(おおみやしろ)に…』
『わしとしてはな、同じ聖領(ひじりのかなめ)でも、根津諸島(ねづのもろつしま)の大宮社(おおみやしろ)などではなく、神妣島(かぶろみしま)の聖宮社(きよつみやしろ)に送り込みたい。』
『聖宮社(きよつみやしろ)…あの…』
『そう、おまえとも深い縁の神妣宏典(かぶろみのあつのり)が、聖宮司(きよつみやつかさ)を務める、あの聖宮社(ひじりのみやしろ)だ。懐かしかろう?』
私は、思わず握りしめる拳を震わせながら、父の顔を見据えた。
宮司(ひじりのみやつかさ)…神妣宏典は、送り込まれた青兎達に産ませた仔兎祇(こうさぎ)を、里子に出したりはしない。
年々数を減らす、聖領(ひじりのかなめ)の領民(かなめのたみ)を増やす実験に使う為である。
その実験とは、実の父親や兄妹姉弟と穂供(そなえ)をさせ、子を宿させる事である。
近親によって産まれる子は、不具や白痴、病持ちが多い。しかし、逆に突出して有能な子が産まれる事がある。
宏典聖宮司(あつのりのきよつみやつかさ)は、近親による穂供(そなえ)で、不具や白痴、病持ちの子が産まれれば殺しつつ、稀に産まれる有能な子で、領民(かなめのたみ)を増やそうと計ったのである。
名無しは、何度となくその現場を目撃していた。
『嫌っ…嫌っ…嫌っ…』
『抑えつけろ!』
『やめて…お願い…お母さん…助けて…助けて…嫌っ…嫌っ…嫌っ!』
それは、泣いて踠き暴れる全裸にされた幼い娘を、産み落とした母親に、手足を押さえつけさせるところから始まる。
『神門(みと)を広げろ!』
母親は、泣き噦る娘の顔から目を背けつつ、命じられるままに、震える指先で小さな神門(みと)のワレメを広げると…
『さあ、やれ。実の娘と存分に楽しむが良い。』
『ケケケケケ…では、ありがたく…』
実の父親である男、こちらは命ぜられるなり、猥雑な笑みを満面に浮かべて、袴と褌をぬぐ。
この男に父親としての情はない。
欲望のままに娘の母である兎神子(とみこ)に手をつけ、今度は産まれてきた我が子にも同じ食指を伸ばそうとしているだけの事である。
しかも、娘の母親の時は、多額の玉串を支払って手をつけたが、今度は逆に被験者として多額の報酬を得た上で…で、ある。
『さあ、父ちゃんと常世に行って、たっぷり楽しもうな。』
実の父親である男はそう言うなり、怒張した穂柱の先端を、まだ発芽の兆しもない神門(みと)のワレメに押しつけて行き…
『イッ…イッ…イッ…痛い!痛い!』
実の娘の泣き叫ぶ声を尻目に、小さな参道を貫いた。
『キャーーーーーーーーーッ!!!!!』
幼い娘の絶叫が、暗く狭い土牢にこだまする。
『痛いよー!痛い!痛い!痛い!もう!もう!もうやめてよ!痛い!痛い!痛い!』
それは、来る日も来る日も、連日連夜にわたって繰り返された。
しかも、最初のうち、少女に穂供(そなえ)るのは、実の父親一人であったが…
日が経ち、最初は無理やり捻り込んでもなかなか挿らなかった父親の穂柱が、どうにか奥まで挿るようになると…
『さあ、今日から、おまえの叔父や祖父(じじ)にも、可愛がって貰おうな。』
そう言って、聖宮社(きのつみやしろ)の聖職(きよしき)に連れてこられた、実の父親の親類達にも、少女に穂供(そなえ)させるようになる。
『嫌っ!嫌っ!やめてっ!お願い!お母さん!助けてっ!助けてっ!お母さん!お母さん!』
この時も、少女は必死に助けを求める実の母親に、無情にも手足を押さえつけられる形で、初めて見る親類の男達に弄ばれる。
『どうだ?どうだ?父ちゃんと俺と、どっちが具合良いか?』
『ククク…やっぱ、父ちゃんが良いよな。父ちゃんが一番良いよな。』
股間の表参道と尻の裏参道を、父親と叔父が同時に貫き…
『アッ…アッ…アッ…アァァァァーーッ!!!』
少女が、耳を劈くような声で泣き叫び出すや…
『おう、おう、大きな口を開けおって。それじゃあ、祖父(じじ)は、その大きな口で慰めて貰おうかの。』
少女の祖父は、老人とは思えぬ程に怒張したモノを、少女の口に捻り込む。
その傍らでは、更に数多の親類の男達が、涙目を白黒させながら、三つの孔を同時に抉られる少女を涎を垂らして見つめ、疼く穂柱を揉み鎮めながら、順番を待つ。
そんな日々を、何月も、何年も…
延々と繰り返した末に、多くの少女達は、赤兎同様、赤子を産む事なく使い物にならず始末され…
何十人かに一人は、実の父親や親族達の赤子を産む。
しかし、親族との間にできた赤子の多くは、不具や病持ちであると知れるや、産んだ少女の前で始末された。
始末する役目は、少女の手足を押さえつけさせられていた、少女の母親に負わされた。
そうして、少女達も、少女の母親達も、皆、数年を待たずして発狂すると、無惨にも用済みと見做され始末されていった。
『まあ、つまらぬ事に気を留めるな…』
父は言いながら、私の肩を軽く叩いた。
『とにかく…今は、昇り詰めろ。何としてでも、聖領(ひじりのかなめ)に入り込んでな。』
『こんな小さな領内(かなめのうち)で、神職家(みしきのいえ)の恐怖政治に怯えた領民(かなめのたみ)に、兎神子(とみこ)と言う生き餌を与えながら…ですか…?』
私は、どうにか拳の震えを鎮めると、大きな吐息を一つつ吐いた。
『それで、兎神子(とみこ)に産ませた仔兎神(ことみ)を天領(あめのかなめ)の支配層や経済層に送り込み、紛争の種を撒き散らす。先の大戦のように…
そんな真似をして、楽しいですか?』
『それを、おまえが楽しいと思えばな。』
父もまた、面白くもなさそうに吐息を一つ吐くと、小刻みな頷きを繰り返しながら言った。
『おまえは、昇りつめる事の意味をわかっておらぬな。昇りつめるとは、力を握る事。
何をするにも、まずは力を持つ事だ。
今のおまえが、鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)で行った兎神子(うさぎ)どもの処遇も、貧民どもに医療や食い扶持を与えてやれたのも、宮司(みやつかさ)としての力あっての事。
いくら綺麗事を並べても、力を持たねばただの泣き言や絵空事にしかならん。だが、力を持てば事の善悪関係なしに、何でもしたい事ができる。
この社領(やしろのかなめ)でやり遂げた同じ事を、根国聖領(ねのくにのひじりのかなめ)や幽国神領(かくりのくにのかむのかなめ)全土でやり遂げる事もな…』
『その為に、幼い赤兎の身体(からだ)を貪った上、生贄に差し出して…ですか?』
『ものは考えようだよ、考えよう。
どうせ孕ませる事が出来なければ、異国(ことつくに)の戦場(いくさば)と言う地獄が待っている。
同じ地獄でも、異国(ことつくに)の戦場(いけさば)と言う地獄に落としても何も得ぬが、聖領(ひじりのかなめ)と言う地獄に差し出せば、新たな力を得る糸口にできる。
どうせなら、後者を選ばぬか?後者を選んで、更なる上を目指し…』
父は、そこまで言うと、私の耳元に顔をそばだて…
『神妣宏典(かぶろみのあつのり)を殺して、聖宮司(きよつみやつかさ)の座を奪え。そうすれば、愛を地獄から救い出してもやれる。愛以外の差し出された青兎達…いや、そこにいる鼠神子(ねずみ)ども全員、今のおまえの兎神子(うさぎ)達のような扱いをしてやれるぞ。』
『父上…』
思わず蒼白になって振り向く私に、それまで無表情だった父は、漸く微かな笑みを浮かべながら、煙管の煙を大きく吹かせた。
権力…
そんなものの為に、幼い者を食い物にする…
幼い者を、この手で嬲り、引き裂き、傷つけ…
その子も、その子を愛する者達も、踏みにじる…
そこにどんな大義があろうとも…
いや、高尚なる大義を掲げればこそ…
何と悍ましいのだ…
私の中に流れる血は…
私の存在は…
穢れてる…
穢れてる…
私は生まれて来るべきでなかったのだ…
あの時、貴之に苦しみに苦しめられ、嬲り殺しにされてればよかったのだ…
何故、産まれてきたのだ…
何故、生きているのだ…
何故、何故、何故…
「悲しいよ…」
嗚咽混じりの声が、私の自嘲を中断させた。
「アケ姉ちゃんも、愛ちゃんも、みんな泣いてるわ。
カズ兄ちゃん、タカ兄ちゃん、亜美姉ちゃん、みんなに嫌われようとする親社(おやしろ)様を見て、泣いている…」
「泣かなくて良いさ。」
シクシク泣きだす菜穂の肩を抱いて、私は更に窓の外を見る。
空はかすかに白み始めたのであろうか?
朧ながらも、視界がひらけてくる。
されど…
悲しみだけを負って逝った者に夜明けはない。
誰かを憎み恨まなければ、永遠に夜明けは訪れない。
「私に、泣いて貰う価値はない。」
「そう言うの嫌!」
菜穂は、一層、激しく嗚咽する。
「私、トモ姉ちゃんがそう言うの、一番嫌だった!親社(おやしろ)様だって、カズ兄ちゃんだって、どれだけ、トモ姉ちゃんがそう言って悲しんだ?
そう言うの、一番人を傷つけるわ。
タカ兄ちゃんや亜美姉ちゃんを傷つけたの、サナ姉ちゃんが命と引き換えに赤ちゃん産んだからじゃない。それを、親社(おやしろさま)様が許したからでもない。
親社(おやしろ)様が、みんなに嫌われようとされた事だわ。
今度は、せっかく、親社(おやしろ)様の赤ちゃん産めて喜んでる愛ちゃんも傷つけるの?」
私は、何も答えなかった。
ただ、菜穂の肩を抱き、背中を撫でながら、窓の外を眺め続けた。
「ナッちゃん、もう一眠りおし。目覚めた時、側に君がいないと、カズ君が寂しいだろう。」
「私、もう寝ない。カズ兄ちゃんを寂しがらせて、悲しませるの。」
「おいおい、何をまた…」
「だって、親社(おやしろ)様も、みんなを寂しがらせて、悲しませるんですもの…」
「ナッちゃん…」
「ほら、親社(おやしろ)様も困ったでしょ?」
菜穂は言いながら、涙にぬれた目を向ける。
「お願い、約束して。みんなを悲しませたり、傷つけたりする事を、もう言わないって…
自分を苛めて、みんなを辛い思いさせないって…
約束して下さったら、私、寝る。カズ兄ちゃんが目を覚ました時、側にいてあげる。」
「わかった、約束しよう。」
「約束よ。」
菜穂は、漸く涙を拭って、笑顔になった。
「約束破ったら、私、親社(おやしろ)様を許さないわよ!本当よ!」
「わかった…よーっくわかりました、ナッちゃん。」
私が、指先で軽く額を小突いてやると、菜穂はニコッと笑って、再び和幸の隣に眠った。
外は、更に白々明けて行く。
粉雪と霧に包まれた、山林の景色を朧に写し出して行く。
夜明けが近づいてきたのだ。
しかし…
悲しみだけを負って逝った者達の哭き声は止まらない。
永遠の暗闇の中で、これからも哭き続けるのだろくか?
私を恨め…
私を憎め…
それで、少しは浮かばれるのなら、私にも産まれてきた意味が少しはあるだろう。

慰坂

兎祇物語

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紅兎

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惜別編

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(2)慰坂

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兎喪(うさも)岬の断崖を後にして、鱶見社領(ふかみのやしろのかなめ)外れの道をまっすぐ歩いて行くと、やがて、平坂峠に繋がる慰坂(なぐさみのさか)に入った。かつて、この坂は、黄泉津坂(よもつさか)と呼ばれた。名の由来は、子を産めなくなった兎祇(うさぎ)は、死んだ者として、坂を登り、東洋水山地黄泉津山脈の山中に捨てた事に由来する。長じて、障害を負って生まれた者、難病を患った者、酷い時代では、結婚して三年経っても子を為さなかった女は、兎祇(うさぎ)でなくとも、山中に捨てられた時代もあったと言う。
顕支国天領(うつしのくにあめのかなめ)では、戦国と呼ばれた時代…
子を産めなくなった女性…特に、性技にたけた兎祇(うさぎ)達は、若ければ異国(ことつくに)に高く売りつけられるようになった。その為、彼女達を山中に捨てる事はしなくなった。
顕支国天領(うつしのくにあめのかなめ)では、帝国を名乗った時代。
顕支国(うつしのくに)が異国(ことつくに)との戦争に明け暮れるようになると、子を産めなくなった兎祇(うさぎ)達は、軍部が高く買い上げるようになった。名目上は、軍人達の慰撫が目的であったが、実際は、神職家(みしきのいえ)に絶対服従する兎祇(うさぎ)達を、戦地・植民地の監視・諜報に使う事が目的であったと言われる。
故に、少なくとも、当人達は慰み者となる事が目的と思ってこの坂を越えて行った事から、慰坂(なぐさみのさか)と呼ばれるようになった。
兎祇(うさぎ)達に憎しみや怨念はない。そんな思いを抱く事すらできぬほど、恐怖に縛られていたからだ。
あるのは、計り知れぬ程の慟哭だけであった。
山林の木々は既に枯れ果てている。
頬を掠める粉雪混じりの風は、葉のない枝々を揺らし、得も言われぬ音を立てている。
それは、何処か枯れ果てた声で哭く女の声にも似ていた。
「怖いか?」
「ううん…」
和幸に齧り付く菜穂は、大きく首を振った。
「なんか、とても悲しい…」
「そう…悲しみに満ちた所だからね。」
和幸が言うと、菜穂は唇を噛み締め、私を見つめた。
和幸もまた、私を見つめる。
名無しは、和幸の視線を感じながら、鱶見社領本社(ふかみのもとつやしろ)に奉職して間もない頃の事を思い出す。
四年前のある夜…
更に一年前、凍死して投げ捨てられたと言う赤兎の事を思い、兎喪(うさも)岬に佇み、海の彼方を眺めやっていた。
童(わらべ)衆…
『違う…』
ただならぬ殺気を感じながら、名無しは思った。
『童(わらべ)衆なら、殺気は放たない…彼らには、感情と言うものはない…』
相手は二人…
しかし、何処にいるのであろう…
私は、左手をゆっくり腰にさす居合刀…胴狸(どうたぬき)にかけた。
気持ちを落ち着け、静かに呼吸を整える。
やがて…
サッと後ろに交わす名無しの前を、一陣の風が切る。
紅い兎の仮面を被った青装束の男…
いや、女か…
仮面の穴から覗かせる目元は、どう見ても女の目だ。
右手には閉じた鉄扇…
折り目は、剃刀の如き刃となっていた。
間一髪、名無しの頭は真っ二つに切り裂かれるところであった。
青装束は、更に左手を懐に忍ばせ、もう一本の鉄扇を抜き放つ。
今度は突き…
突先から、小刀の刃が飛び出し、私の心臓を狙う。
『注連縄衆(しめなわしゅう)か!』
交わしざま、私が声を上げると、青装束はものも言わず両手の扇子を開いた。
月影が、二枚の鉄扇を軽やかに仰ぎながら舞う青装束を映し出す。
神楽舞…
『朧流飛燕剣神楽乱舞殺(おぼろりゅうひえんけんかぐららんぶさつ)…
朧(おぼろ)衆!馬鹿な…』
青装束は、更に激しい殺気を放ち、クルクル舞いながら近づいてくる。
軽やかにして、見事な舞。風にそよぐアゲハにも似た美しさだ。
しかし、見とれてる余裕はない。
一見、優雅に見えるが、凄まじい速さで、鉄扇の切っ先を振りかざしてくる。
一瞬でも気を抜けば、間違いなく名無しの首は飛ぶだろう。
それでいて、ヒラヒラ舞い上がる羽毛の如く軽やかな身のこなしは、全く捉えどころなく、反撃の隙を与えない。
名無しは、右に左に交わしながら、心落ち着け静かに呼吸を整える。
捉えた!
名無しは、右の鉄扇が真一文字に凪られると、後方に飛んで交わし、左手の柄を下向きに構え、右手を広げて目を瞑る。
青装束は、鉄扇を閉じると、飛燕の翼の如き構えをとり、冷たく冴える憎悪の眼差しを向けた。
時が止まる。
双方、静止したまま向き合い、どれほど経った頃の事だろう…
張り詰めた二人の間に、一陣の風がこの葉を駆って吹き抜けた。
次の刹那…
青装束は、飛燕のごとき構えをとったまま、一気に駆けて向かってきた。
名無しは間合いを図りながら、右手を胴狸の柄に向けてゆく。
真正面…
名無しは、抜くと見せかけ、右手甲を柄にのせる。
青装束もまた、切りつけると見せかけ、両鉄扇を上段に掲げて、頭上高く舞い上がった。
月影が、蝶の如く舞い上がる青装束を照らしだす。
剃刀の如き鉄扇の折り目が、名無しの額を狙う…
と、思いきや、素早く逆手に持ち替え、先端から突き出た短刀の切っ先が、名無しの喉笛を狙った。
やはり、そう来たか…
名無しは、後ろに飛び交わし様、柄の上に乗せた甲を返し、胴狸を鞘走らせた。
青装束の仮面が割れた。
『君は…』
そこに現れたのは、面長の頬に切れ長の眼差し…
美少女…
そうとしか言いようのない、妖しいまでの美しい顔であった。
『和幸君…』
言い終える間も無く…
『不覚!』
音もなく、何処からとなく投げ放たれた釣り糸が、私の首と両手首に一本ずつ巻きつき、同時に、分銅となる釣針が、肉を突き刺し抉る…
敢えて強烈な殺気を放ち、もう一人の気配を断つ…
初歩的な手に嵌められるとは…
釣り糸は、ゆっくり緩慢に、私の首と両手首を締め上げ、肉を抉る釣針は、少しずつ肉を切り裂いて行く。
『グッ…ググッ…ウゥッ…』
名無しは、踠きながら、青装束を真っ直ぐに見据えた。
本社(もとつやしろ)に奉職して日が浅い名無しは、彼と言う少年をさほど知ってるわけではない…
穏やかで、面倒見がよく、年下の兎祇(うさぎ)達から慕われていた。
しかし…
その彼が、目の前で踠き苦しみながら殺されようとする者を、顔色変えず見つめている。
迸る殺意とは裏腹に、その表情は物静かで、怒りと憎悪に歪む様子もない。
あるいは、興にいり笑っている風でもない。
ただ、見つめる眼差しが、異様に冷たく光っている。
これが、残酷な殺人を目前にする十五の少年の目か…
『ググッ…』
更に、釣り糸が首と両手首を締め上げて行く。息がつまり、声が出ない。変色した手が痺れ、刀を握る力も失せて行く。
しかし…
肉を抉り、僅かずつ肉を切り裂いて行く釣針の痛みが、意識を失う事を許さない。
最後の一瞬まで、言葉に尽くせぬ苦しみと激痛を味合わせようと言うのだろう。
身動きできぬ体をなんとか捩り、後方を見る。
華奢で女性のように繊細な体躯の青装束とは対照的に、ガッシリした体躯…
やはり紅い兎の仮面を被る黒装束の男が、糸をゆっくり手繰り寄せながら、私を睨み据えていた。
冷たく光る青装束の目とは逆に、怒りと憎悪に燃えていた。
『苦しいか…もっと苦め…存分に苦しめ…お前達に嬲りものにされた兎祇(うさぎ)達の痛みと苦しみを思い知れ…』
黒装束は、地獄の底から響くような、不気味に図太い声で言い放つ。
そう言う事か…
名無しは、相変わらず冷たく光る青装束の眼差しを、静かに見つめ返すと刀を投げ捨て目を瞑った。
存分にやると良い…
瞼には、これまで、目の前で嬲り者にされてきた兎祇(うさぎ)達の姿が走馬灯のように浮かんでくる。
連日、休みなく入れ替わり立ち替わり男達の相手をさせられる白兎と黒兎達。
大勢の人前で全裸にされ、羞恥を訴える事も身体(からだ)を隠す事も許されぬ赤兎達…
絢爛なる金箔障壁画に彩られた、異様に雅で広い部屋…
中央に敷かれた、大の大人が軽く五人並んで眠れそうな赤い布団の上で、十歳にも満たぬ幼い全裸の少女が寝かされている。
『百合ちゃん…』
名無しは、幻影に手を伸ばしながら、声を発しようとする。
しかし…
更に締め上げる、首に食い込む釣り糸に妨げられ、喉元から先に声は出ない…
『やれ!』
名無しの後ろに立つ厳つい男が一声上げると、布団の周囲を囲んでいた男達は袴と褌を脱ぐと、一斉に猥雑な眼差しを、少女に向けた。
『アァァ…アァァ…アァァ…』
少女は、目にいっぱい涙を浮かべて、近づく男達に嫌々をする。
しかし、男達は躊躇なく舌舐めずりをしながら、少女に近づいて行った。
『やめろ…やめろ…』
次第に遠のく意識の中…
名無しは必死に叫ぼうとする…
しかし、それを遮るのは…
名無しの後ろに立つ男なのか…
名無しの首を締め付ける釣糸か…
取り囲む男の一人が、少女の脚を開かせ、まだ萌芽の兆しもない白桃色した神門(みと)のワレメに、乱暴に指を捻り込んでゆく。
『ウッ!ウゥゥゥーッ!ウゥゥゥーッ!』
少女は、顎を大きく逸らし、腰を浮かせながら呻き声を上げた。
男は構うことなく、神門(みと)のワレメに捩込んだ指先で、参道を掻き回し始めた。
『ウゥゥゥゥーーーッ!!!!』
少女は、一層呻きをあげながら、大きく腰を浮かせてゆく。
抵抗するどころか、声に出して苦痛を訴える事も許されない。
それでも、両眼から溢れる涙を抑える事は出来ず、両頬をぐっしょり濡らしている。
新たに二人の男が百合の側に寄ると、小さな三角形に膨らみ始めた胸を、両脇から伸ばす手で、思い切り鷲掴んだ。
『アァァァァーーーーーーーーーッ』
遂に堪えきれなくなった少女は、凄まじい絶叫を上げた。
二人の男は、身を捩り、首を振り立てて声を上げる少女に、一片の憐憫をかける事なく、小さな乳房のシコリを掴む指先に、グリグリと力をこめてゆく。
『アァァァァーーーーーッ!アァァァァーーーーッ!アァァーーーーーッ!!!!』
少女は、一段と激しく首を振り立てながら、声をあげようとすると…
『ウグッ!』
突如、頭上にいた男に、黒光にそそり勃った穂柱を口に捻り込まれて遮られた。
それを見るや、少女の参道を掻き回していた男は、神門(みと)から指を引き抜き、自身の黒光する穂柱を、少女の神門(みと)のワレメに近づけた。
『ウググググーッ!』
声をあげたくてもあげられぬ少女は、太刀魚の如く全身を左右に捩らせ、跳ね上げた。
『ウッ…ウッ…ウッ…ウッ…』
『フゥッ…フゥッ…フゥッ…フゥッ…』
穂柱で小さな参道を抉る男と口腔内に捻り込む男は、苦悶にのたうち回る少女とは真逆に、恍惚とした顔で喘ぎながら、激しく腰を動かしてゆく。
やがて…
『ウグゥゥゥゥーーーーーッ!!!!』
『ウゥゥーッ!』
『フゥゥーッ!』
一際高く腰を跳ね上げ呻く少女の呻きと、小さな口と参道に向けて腰を突き出す二人の男の喘ぎが交差した瞬間…
三人の動きが止まった。
『グフッ…グフッ…グフッ…』
少女が頬に涙を溢れさせ、苦しそうにむせ込むのとは真逆に、二人の男は臀部を引き攣らせながら、一層恍惚とした頬を緩ませてゆく。
『ゲホッ!ゲホッ!ゲホッ!』
漸く二人の男が、口と参道から穂柱を外すと、少女は激しく咳き込みながら、大量の白穂を吐き出し、股間からは血の混じった白穂を滴らせた。
しかし、それで終わりではなかった。
二人の男が終われば、また二人の新たな男が百合の口と参道を貫き、終わった男は、萎えた穂柱を復活させるべく、百合の手に握らせて扱かせる。
『ウグゥゥゥゥーーーッ!!!ウグゥゥゥゥーーー!!!ウグゥゥゥゥーーーっ!!!』
『ウッ…ウッ…ウッ…ウッ…』
『フゥッ…フゥッ…フゥッ…』
それは、何刻繰り返された事だろう…
永遠とも思われる時間、苦悶に満ちた少女の呻きと、口と参道を貫く男達の喘ぎが交差する中…
名無しは、堪えきれずに目を背けると…
『何処を見てる!』
後ろに立つ男は、名無しの髪を掴み上げ、無理やり少女の方に目を向けさせた。
『次は、おまえの番だ。』
後ろの男が言うなり、その時、少女の股間を貫いていた男は、穂柱を参道から引き抜くと、少女は左右の男達に押さえつけられ、名無しの方に向けて脚を広げさせた。
血と白穂に塗れ…
付根の裂けた神門(みと)のワレメ…
名無しの後ろに立っていた男が、指先で開くと、参道の肉壁一面が赤剥けに剥離している。
『やれ!』
後ろに立つ男は、無理やり私の袴と褌を引き剥がすと、百合の前に突き飛ばした。
『百合ちゃん….』
釣り糸は更に首と両手首を締め上げ肉に食い込み、釣針は首と手首周り四分の一まで切り裂いていた。
流れでる生暖かな血潮…
全身の孔が開き出すのを感じながら、あの日の光景が、更に鮮明に脳裏に映し出されてゆく。
私の下で、それまで十人の男達に、交代で口と参道を抉られていた赤兎の少女が、顎と背中を剃らせ、白くなる程拳を握り、爪先を突っ張らせて呻き続けている。
あの後…
血塗れの小さな参道を、どれだけ貫いた事だろう…
傷だらけの小さな御祭神に、どれだけ白穂を放った事だろう…
踠き苦しみ、汚物を垂れ流して死ぬ…
今の私にこれ程相応しい死に方はない。
醜く汚れきった人生の幕を閉じるのに、これ程相応しい最後はない。
名無しが、緩慢に忍び寄る死の苦しみを噛み締めながら思い定めた時…
『タカッ、やめろ!』
それまで、一言も声を発さなかった青装束が、黒装束に向かって言い放った。
『もう、やめるんだ!』
菜穂は、ジッと私を見つめる和幸の顔を、涙目で見上げながら、その腕に噛り付いていた。
菜穂は、まだ知らない。
和幸と貴之のもう一つの顔を…
勿論…昔、名無しとどんな事があったかも知らない。
ただ…
名無しと和幸の間に漂う、尋常でない緊張感が、菜穂を不安がらせていたのだろう。
いや…
胸を痛めていたと言うべきかも知れない。
菜穂の知る和幸は、いつも優しく穏やかで、気品に満ちた笑みをたたえていた。
何処かお日様のように朗らかな男であった。
その彼が、名無しに向けて、異様に冷たく光った眼差しを向けているのだ。
「この辺で良いだろう。」
名無しは、頃合いを見て、立ち止まって言った。
和幸も立ち止まる。
「カズ君、君の思いを存分に晴らすと良い。」
名無しが言うと、和幸は懐に右手を忍ばせた。
鉄扇…
名無しは、もう躱すつもりはない。
菜穂は、不安そうに和幸の腕に噛り付いた。
「ナッちゃん、少し離れていてくれないか?これから起きる事に、目を瞑っていて欲しい。」
「親社(おやしろ)様、何が始まるの?ねえ、何が始まるの?」
「何でもない。ただ、カズ君と二人だけで話したい。すぐに終わるよ。」
名無しが言うと、菜穂は涙目で首を横に振った。
「嫌よ…嫌、嫌…私、離れたくない…」
「ナッちゃん、良い子だから、言う事きくんだ。すぐに終わるから。」
和幸は、静かに目を閉じ、大きく一つ息をついた。
菜穂は、一層強く和幸に噛り付いた。
「ナッちゃん、さあ、少しだけ…」
「行く必要はないよ…」
和幸は、不意に口を開いた。
「何処にも行く必要はない。」
そう言って、目を開くと、菜穂に優しげな笑みを浮かべた。
「カズ君。」
和幸は、菜穂に大きく頷いて見せると、齧り付く手を離させ、ゆっくり私に近づいた。
「親社(おやしろ)様、これを…」
懐から手を出すと、鉄扇ではなく、手巾を一枚握りしめられていた。
紫陽花の刺繍が施された手巾…
名無しが、昔、智子にあげたものだ。
「泣きたい時は、泣けば良い…」
和幸は、遠くを見つめながら、何かを諳んじるように言った。
「痛みや悲しみを堪える必要はない。泣いた分だけ、明日はきっと明るくなる。
どんな大雨も、いつかはやむ。やめば、空は晴れ渡る。
君は、野末を彩る紫陽花のようだ…
雨に濡れた紫陽花は、明るい日差しに照らされると、鮮やかな光彩を放って美しい…」
暗唱し終えると、遠くを見つめていた眼差しを名無しに向けた。
「トモちゃんは、親社(おやしろ)様の言葉を、ずっと支えにしていたと言ってました。
親社(おやしろ)様の言葉があったから、最後の一日まで生きる力を持てたそうです。
だから、これを渡す時、今度は親社(おやしろ)様に、同じ言葉を返して欲しいと言っていました。」
智子の手巾を差し出す時…
和幸の私を見つめる眼差しに、最早、冷たい光はなくなり、かつてと同じ、穏やかで気品に満ちた、暖かな眼差しに戻っていた。

潮騒

兎祇物語

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紅兎

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惜別編

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(1)潮騒

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潮騒

終わりなき悲しみの音色…

果てる事なき音色…

凍てつく海の彼方に、灰色の景色が広がって行く。

何処まで見渡しても変わらぬ、激しい波の揺らめき…

チラホラと降りしきる、銀色の雫が、枯れ果てた涙の代わりに、男の頬を伝う。

赤袍紫袴…

鱶見本社領(ふかみのもとつやしろのかなめ)の親社宮司(おやしろのみやつかさ)…

彼に名はない。

遥か昔に忘れ去っていた。

故に、人は名無しと呼ぶ。

『綺麗だなー…

綺麗だなー…

赤ちゃんの揺かごみたい…』

名無しの耳の奥底をよぎるのは、小さな身体(からだ)で五人もの赤子を生み出して、命を縮めてしまった少女の声…

『私も、もうすぐ、あの揺かごに揺られるのね…』

仄かな陽光を受けて煌めく黒い波を見つめながら言うと、早苗は自らの生み出した命達よりも幼い笑みを、貴之の浅黒い腕の中で傾けた。

『馬鹿を言うな…

お前は、悪い夢をみてたんだ。ずっと七転八倒してな…』

『夢…』

『そうだ、悪い夢だ。この夢が醒めれば…これからなんだ、お前には、楽しいことや、嬉しい事が、これから…でなければ、お前、今までどんな…』

貴之は、獣染みた風貌を背け、素っ気なく言う声を掠れとぎらせる。

『泣かないで…』

早苗は、自分の境遇より、貴之の悲しむ姿に涙ぐみ…

『泣いてねーよ。誰が泣くもんか…笑ってやらー。』

そう言って鼻を鳴らす貴之の頬を撫でて優しく笑いかけた。

『私、幸せだったよ。

春には綺麗な花がいっぱい咲いたし、夏はスイカやカキ氷が美味しかったなー…

秋は、坊や達の掌みたいなモミジがヒラヒラ舞い降りて、頬を撫で撫でしてくれた…

冬…

みんなが、私の枕元に拵えてくれた雪だるまや雪兎が可愛いかったー…』

『おまえ…』

『何よりね、みんなと出会えてよかった…

タカ兄ちゃんと出会えて、よかった…

産まれてきて、よかった…

ありがとう…』

そして…

貴之は…

『坊や…

今、迎えに行くぞ…

父さんと暮らそうな…本当のお父さんと暮らそうな…

おまえを誰にも渡さねーぞ…例え、県会議員様だろうと、県知事様だろうと…

おまえは誰の子でもねー!

俺の子だー!』

この場所で…

名無しが今立つこの場所で、十数発の銃弾を受けながら、あの赤子の産着を抱いて、海に飛び込んで行った。

そう…

最後まで、自分の子だと信じて疑わなかった、早苗が四人目に産んだ子を探しに行く為に…

「波が哭いている…」

不意に、女のような声が男の追憶を破った。

和幸…

振り向くと、憂いを帯びた切れ長の眼差しは、名無しと向き合おうともせず、断崖の岸壁に打ち寄せる波を見つめていた。

「これは、タカを悼む哭き声だ…いや、あいつだけじゃない。サナちゃんや、それから…この海に眠る多くの人々を悼む哭き声だ。

トモちゃんは、そう言って、ここに立つ度に涙を流していたよ。だけど…」

和幸は言いかけ口を噤むと、静かに空(くう)を掴むように、拳を半分握る仕草をした。その掌には、最後まで自分を許せぬまま逝ってしまった、愛する少女のか細く儚げな手の温もりが、鮮明に蘇っていたのだろう。

『裸のまま、雪の上に寝かせて…』

智子のか細い声が、和幸の脳裏を過ぎる…

「良いよ…」

和幸は、静かに瞑目し、脳裏の声に答えて言った。

「だったら、僕も裸になって、一緒に横たわろう。」

『そんな資格ない…』

脳裏の声は、今度は涙を滲ませて言った。

『カズちゃんに優しくされる資格も、看取られる資格も…増して、一緒に凍え死んで貰う資格なんてない…』

「その通りだ…」

答える和幸も、次第に声を滲ませてゆく。

「このまま、幸せに死ぬ資格なんて…死んで楽になる資格なんて、君にありはしない…」

「ならば、生きろ。」

名無しが、追憶に分け入るように言うと、和幸は漸く現実に立ち返り、こちらに振り向いた。

「タカ君の分も、サナちゃんの分も、何より、トモちゃんの分もな。」

名無しは言いながら、一冊のアルバムを手渡すと、和幸は、眉一つ動かさず開き見た。

最初の頁には…

両手を押さえつけられた十にも満たぬ少女が、小さな脚を股裂のように押し拡げられ、小さな神門(みと)に図太い穂柱を貫かれ泣き叫んでいる姿…

次の頁には、十二くらいの少女が、同時に三人の男達に口と股間と尻に穂柱を捻り込まれ、両手には別の男二人の穂柱を握らされている姿…

更に頁を捲れば…

そこには、全裸にされた年端もゆかぬ少女らが、数多の男達に、ありとあらゆる陵辱をされる姿があった。

あるいは…

陵辱する者の意に沿わなかったのであろう少女が、目を覆うような仕置を受ける様さえも記録されていた。

どの写真も、少女は苦悶に満ちた顔をしていた。

しかし、一枚だけ、満面の笑みを浮かべる写真があった。

美香…

名無し自身は一度も会った事のない少女は、仕立てたばかりの法被一枚だけ羽織り、か細く白い身体(からだ)のほとんど全てを露わにして、笑っていた。

その隣には、和幸が愛した少女…智子が、色違いでお揃いの法被を着て並び、一緒に笑っていた。生前、遂に名無しが一度も見る事のできなかった、幸福そうな笑顔である。

そう、苦痛に満ちた二人の短い人生、全ての分の幸福が、その写真一枚に凝縮されていた。

「僕にも背負って生きろと?」

和幸は、眉一つ動さず、美香と智子の並んだ写真を見つめながら言った。

「背負うのではなく、胸に抱いてやれ。痛みや苦しみではなく、束の間、幸福だった時の笑顔をな。」

「幸福?笑顔?それを奪ったのは誰なのですか?」

「私だ。」

名無しが和幸の目をまっすぐ見つめて言うと…

「相変わらず、卑怯なお人だ、貴方は…」

和幸は静かにアルバムを閉じると、再び私に背を向け海を見つめた。

波は消え、辺りは鎮まりかえっていた。

しばらくの沈黙の後、和幸の脳裏にまた、智子の滲んだ声が過り出した。

『私が死んだら、波のない静かな時に流して…』

「この海に眠っている、他の人達のように、哭いて貰う資格なんてないから…だってさ…」

和幸は、揺らめく波間へと視線を投げると、やや荒げた声で言った。

「笑えるだろう、タカ。泣かれる資格ないだってさ…本当、笑えるだろう!」

一瞬、和幸は、幾ら振り払おうとしても消えぬ智子の声を打ち消すように、アルバムを海に投げ入れようと、思い切り振り上げた。

しかし、同時にまた、あの満面の笑顔で美香と並ぶ智子の写真が、脳裏をかすめると手を止めて…

「だからさ、笑って迎えてやってくれよ。サナちゃんや美香ちゃんと…もう、泣いたりなんかしないでさ…思い切り笑って迎えてくれよ。」

振り上げたアルバムを、思い切り胸に抱きしめた。

「カズ君…」

名無しが、後ろから肩に手を掛けると、振り向ける切れ長の眼差しに涙はなかった。

ただ、風に靡かす背中まで伸ばした髪の狭間から、底知れぬ哀しみを帯びた女と見紛う面差しを覗かさせていた。

皆、ここに眠っている。

凍てつく海の底に沈められて、眠っている。

「私もいつか、この海に眠ろう。」

名無しがポツリ呟くように言うと、和幸は抱き締めていたアルバムを、無言で私に差し出し返した。

その時…

「親社(おやしろ)様!カズ兄ちゃーん!」

遥か後方の彼方から、菜穂の声が聞こえてきた。

「ナッちゃん…」

つい先日、十五の誕生日を迎えたばかりの菜穂は、胸まで垂らすおさげを揺らしながら、目を涙ぐませて、駆け寄ってきた。

「よかった!よかった!よかったー!」

菜穂は、和幸の胸に飛び込むと、シクシクと泣き出した。

「カズ兄ちゃん、心配したんだよ!本当に、本当に、心配したんだよ!」

和幸は、菜穂の肩を抱き、おさげの頭を撫でてやる。

「カズ兄ちゃんが…カズ兄ちゃんが…もし、この海に飛び込んでいたら、私も…私も…」

三年程前…

花嫁衣装を着、初めて産んだ女の子を抱いて、和幸と写真を撮った時を思い出す。

あの時より、菜穂は、少し背も伸び、胸も膨らみを帯びていた。

「ナッちゃん、大きくなったね。」

和幸は、漸くあの時と同じ優しげな笑みを浮かべ、菜穂の涙を拭ってやった。

「カズ兄ちゃん…」

菜穂も、笑顔を返しながら、和幸の頬を撫でる。

しかし…

「どうしたの?」

問い返す和幸の眼差しを、菜穂は何も答えずジッと見つめた。

和幸の目に、深く刻まれた悲しみを見てとったのだろう。

菜穂は、また、涙目になりかける。

「ナッちゃん。」

和幸が声をかけると…

「うん。」

菜穂は、気を取り直したように、和幸に笑顔で頷いた。

「帰ろう、みんな待ってるよ。」

和幸は、再び海の方を向き、遠く地平線を眺めやる。

誰かに何かを問いかけるように。

いつまでも、いつまでも…

しかし、海は何も答えない。

「愛ちゃん、大きくなったよ。」

菜穂は、息を大きく一つつくと、海の底に眠る誰かに変わって答えるように、思い切って言った。

「愛ちゃん…」

「うん。もう、赤兎じゃないよ。着物、着てもよくなったんだよ。」

「それじゃあ、仔兎祇(こうさぎ)が…」

和幸は、忽ち、複雑な表情をする。そしてまた、そこにいない誰かの手をとるかのうように、拳を半分握る仕草を見せた。

「私の子だよ。」

私が言うと、和幸は海の方を見つめたまま、ハッと目を見開いた。

「私が、あの子を孕ませたのだ。二人で田打部屋に篭ってな…」

「貴方が…」

和幸は、両目を冷たく光らせ、両手をワナワナと震わせた。

「なかなか、孕まぬからだよ。十二になっても孕まぬ赤兎は、卵を産まぬ雌鶏、乳を出さぬ牛より劣る。飢えた鱶の餌食にするしかない。」

「だから…だから、餌食にされたのですか?貴方という飢えた鱶の…」

「そうだ。だが、お陰で、見事に赤兎の役割を果たしたぞ。あの子は男達が白穂と共に放つ領内(かなめのうち)の罪咎を体内に受けて清め、汚れなき赤子に替えて世に出したのだ。あとは、潔き青兎として、根津国聖領 (ねづのくにひじりのかなめ)に捧げらるだけだ。」

私が言うと、和幸は、震える手を、懐に忍ばせてるものに伸ばした。横目で睨み据える冷たい眼差しは、青白い炎にも似て、極限の怒りに燃えてるようでもあれば、深い憂と悲しみに哭いてるようにも見えた。

「サナちゃんやトモちゃんを、踏みにじり、食い物にし、ボロ切れのように傷つけたのは、私だよ。」

「その上、愛ちゃんまでも…僕達の、みんなの宝物だった、あの子までも…」

和幸は、声を滲ませ震わせながら、懐のものをゆっくり引き抜こうとする。

私は、静かに目を瞑った。

『カズ君、存分にするが良い…』

心の中で、そう呟きながら…

すると…

「カズ兄ちゃん。辛かったね…悲しかったね…何もしてあげられなくて、ごめんね。」

菜穂が、後ろから優しく和幸を抱きしめ、シクシクと泣き出した。

「親社(おやしろ)様も、同じだったのよ…

どんな思いで、愛ちゃんに穂供(そなえ)たのか、どんな思いで、命と引き換えにサナちゃんに赤ちゃん産ませたのか…

一番知ってるの、カズ兄ちゃんよね。」

和幸は、忽ち張り詰めていた肩の力を抜き、目を瞑ると、大きく息を一つ吐いた。

「親社(おやしろ)様、愛ちゃんが聖領(ひじりのかなめ)に送られるのはいつですか?」

「三月後…

雪解けを待ってだ。」

私が答えると、和幸は無言で海に背を向け、まだ泣き続けてる菜穂の肩を抱いて歩き出した。

神話の時代。

爺祖大神(やそのおおかみ)に少女(おとめ)に変えられた兎達は、鰐鮫の背を渡り、この海を渡ってやってきたと言う。

男に抱かれ、子を産み、血を残す為だけに…

少女(おとめ)となった兎達は、子を産む道具に過ぎぬ…

子を産めなくなった兎達は、この海に打ち捨て流されてゆく。

潮騒

終わりなき悲しみの音色…

果てる事なき漣の音色…

今日も、底深く眠る兔達の面影が、ゆっくり、その場を後にする私達の背中を、何処までも追いかけるような気がした。

 

 

 

兎祇物語

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皇国(すめらぎのくに)、離島。

隠隅島では、未だ、一つの因習が人々の営みを支配している。

そこでは、捧穂(ささげ)と呼ばれる、祭祀(まつり)が行われている。祭祀(まつり)の歴史は古く、神代に遡ると言う。

それは…